「賭博黙示録カイジ」、「アカギ 〜闇に降り立った天才〜」など多数の代表作を持ち、ギャンブル漫画の大御所である福本伸行氏。圧巻の心理描写とストーリー展開が持ち味だが、そのバックボーンとなった体験を聞くと、若かりし頃のバックパッカー経験を口にした。
65歳とは思えない若々しさ、そして物腰の柔らかさ。読者の心にトゲを突き刺すような作風からは想像しにくい。「僕はそんなに特別な体験をたくさんしたわけではないんです。もちろん人生ではつらいことも、苦しいこともありますが」と困った顔を浮かべ、記憶を辿った。小額でのギャンブルや仲間内の麻雀で危険牌を捨てる際の「ドキドキした感情」が作品の「種」だという。「その種を膨らませて、漫画ではものすごい額の勝負、命のやり取りになっていますね」と語った。
そんな中で「昔、カバン一つで中国や東南アジアを旅行したことがあって、それは自分の根っこに、少し影響があるのかもしれませんね。生きてさえいればいいという危ない目にあったり、人に助けられたりもしました」と語った。「特別ではない」という、若かりし頃のバックパッカー体験について聞いた。
リュックを背負い各1カ月以上に渡る貧乏旅行。31歳の1989年に「天 天和通りの快男児」連載を開始し、多忙になるまで、5~6年ほど度々海外に出かけていたという。
中国へは上海に渡航し、自転車で旅した。1987年、日本の国内総生産(GDP)は中国の9倍以上だった頃の思い出だ。
「街中を自転車で走りました。当時の中国は解放都市、非解放都市、準解放都市があって、役所のようなところで(目的の)準解放都市を10件とか選べる。上海や北京は開放都市ですが、少し地味な準開放都市までは自転車なので、途中で非開放都市に泊まることもあるんですよ。非解放都市では外国人を初めて見る人、ギア付きの自転車なんて見たことがない人たちがいっぱい。そういうところで食堂に入ると、人だかりができて、筆談が結構通じるから、どこから来たとか同じ質問ばかりされましたね」
非解放都市の宿泊所で一晩過ごそうとした日のこと。夜に警官が訪れ、連行された。
「僕が泊まっていたのは、一般の中国人が泊まるところ。外国人はそこにいちゃいけなかった。『どうしてここに居るんだ』と聞かれて『日が暮れて(目的地に)たどり着かずに泊まりました。目的は通過』、とか答えると、もっといいホテルのようなところに泊まれて、翌朝に別れました。もしかしたら帰ってこられなかったかもしれない」
フィリピンでは島巡りの際、現地の姉妹に航空機のチケット購入を手伝ってもらった。お礼に食事をご馳走しようとすると、「家に来てくれ」と案内されたという。
「フィリピンの家を見てみたかったので、姉妹について行くと、マッサージをされました。『地球の歩き方』の注意通り、案の定バッグが(別の部屋に)持っていかれる。だけど『やめてください』って言いにくいんですよ、日本人の性質として。なんか疑ってるみたいでしょ。まあ本当に疑っていたんですけど。マッサージが終わったら、お金が抜かれていました」
盗難を疑うと、その家族から「みんな泣きそうな顔をしながら」否定されたというが、「何を言っているんだこいつらは」と引かなかった福本氏。警察を呼ぶことを提案されたが、当時はフィリピンの警察は非常に悪質と聞いており、提案を拒否して、なお食い下がった。