「カイジ」は次章で完結、福本伸行氏が明言 ギャンブル漫画の達人「根っこ」は若き日のヒリヒリ体験

山本 鋼平 山本 鋼平
「逆境回顧録 大カイジ展」の会場で特製クレープを手にする福本伸行氏
「逆境回顧録 大カイジ展」の会場で特製クレープを手にする福本伸行氏

 「すると家族に妊婦がいたんですけど、俺が騒いだから産気づいたと言うわけです。『お前のせいだ』『そんなわけない』と言い合っていたら、車で一緒に病院に行くぞ、と。なぜか僕も乗せられて、結局病院で迷子にさせられ、置き去りにされました。夜だったから姉妹の家への道なんて分かりません」

 フィリピンでは、さらに危険な目に遭った。路上を通行中、警察を名乗る男から新聞を突きつけられ、車に乗るよう求められた。

 「新聞に載っていた麻薬事件の犯人の顔写真を見せられて、それが僕だという。どう見ても別人。『車に入れ』『いや行かない』ともめていたら、別のところから人が来て、かばんから荷物を取り出そうとする。すると車がスーッと走り出して、パスポートが抜かれていました。車に向かって『パスポート‼』と叫んだら、窓が開いてパスポートをポイっと投げてくれました。でもカメラを奪われていましたね」

 米ニューヨークの安宿に泊まった際は、夜中に路上から叫び声が聞こえる中、ドアを強く叩く音が鳴り響いた。

 「気持ち悪くてドアを開けなかったら、朝になって、カードが挟まれていることに気付きました。そこには『危ないからカギを閉めろ』と書いてあって…実は親切だったんですよ」

 まだまだ思い出は尽きない福本氏。フィリピンで警察を名乗る者にカメラを奪われた際、近くの住人が心配の声をかけながら近づいてきた。「どちらかというと同情で寄ってきたんだけど、少し前にひどい目にあった気持ちが強いから、『うるさい』と邪険でしたね」と述懐。その場景は痛い敗北を喫した後のカイジに重ねてしまいそうだが、福本氏は、それらの体験は作品の「種」にすぎないと話す。

 「危ない目に遭ったことは人間の気持ちを考える根っこにはあると思うんだけど、その先はやはり想像力、妄想力と言うか、いろいろ考えていますね。例えば(『最強伝説 黒沢』の)黒沢の気持ちも大事だけど、それが感情を揺さぶるストーリーに組み込めるかどうか。黒沢がスーパーの弁当を試食するのを許す、許さないとボクサー崩れとケンカするシーンがあるでしょ。どうしてそんなことで殴り合いをするのか、悲しくてしょうがない、みたいにね」

 体験の「種」から漫画のストーリーに転換する具体例も示した。漫画家を目指し、朝刊の新聞配達を行い、月4万円の収入で家賃9000円のアパートに暮らしていた頃、友人が家に遊びに来たときだった。

 「新聞配達をしながら、基本的には漫画を描いていました。予定表のようなものを作っていて、(夕方)5時に遊びに来ると書きこみ、朝が早いから『10時に帰宅』とも書いたんです。(友人が)それを見つけて『自分が帰ってから書くべきだろう』と笑っていました」と回想。漫画に発展させる形として「例えば友人が落とした手帳をのぞいたら、自分の予定がぎっしり書き込まれていたら嫌でしょ。そんな手帳を書いているのがバレたら大変だ、とかね」と続けた。

 福本氏は故・かざま鋭二さん(代表作に「Dr.タイフーン」原作・高橋三千綱、「風の大地」原作・坂田信弘、など)のアシスタントを経て、1980年に21歳で「月刊少年チャンピオン」に掲載された「よろしく純情大将」でデビュー。当初は人情漫画を描いたがヒットせず、ギャンブル漫画で開花した。

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