ヒロイン5人に愛される東大生の主人公を思想哲学的に考察「女神のカフェテラス」粕壁隼

マザー・テラサワ マザー・テラサワ
「女神のカフェテラス」単行本9巻収録・第87話「一番の達人」より、ヒロイン達の前で覚悟を示す隼 (C)瀬尾公治/講談社
「女神のカフェテラス」単行本9巻収録・第87話「一番の達人」より、ヒロイン達の前で覚悟を示す隼 (C)瀬尾公治/講談社

 ラブコメの登場人物を思想哲学的に考察する。「週刊少年マガジン」(講談社)連載中の「女神のカフェテラス」(作・瀬尾公治)のテレビアニメ化(MBS・TBS系で放送中)を祝して、早大大学院で政治哲学を専攻し、哲学をモチーフとしたネタを展開する〝哲学芸人〟マザー・テラサワが登場。祖母の遺産である喫茶店を継いだ主人公・粕壁隼と、5人の女の子(幕澤桜花、鶴河秋水、月島流星、小野白菊、鳳凰寺紅葉)による共同生活とその経営模様を描く同作において、最終回は隼をチョイス。フランスの啓蒙思想家ジャン=ジャック・ルソー(1712-1778)の社会契約の思想との関連性が明らかとなった。 

 「女神のカフェテラス」という作品は5人のヒロインが異なる魅力を放つことに特徴があります。そして彼女たちがしばしば解き放つ妖艶さに、読者の皆様はすっかり魅了されてしまっていることでしょう。最終回なのでカミングアウトしますが、資料チェックという名目でヒロイン達が生肌を露わにする画を眺める事は、私にとって仕事なのを忘却するほど夢見心地な営みでありました。そんな楽園のような時が喪失することに一抹の寂しさを感じつつ、筆を進めている次第です。

 しかしこの作品は、主人公・粕壁隼の存在抜きに成立しません。祖母から喫茶店を継いだ東大生を巡り、ヒロイン達は時に実直に、時に手練手管なやり方で隼に対する恋の欲望を燃やしていきます。「家族」という名目で共に生活するメンバーが、同時に恋のライバルになる・・・この何とも言えないバランスの人間関係が、ラブコメとしてのエキサイティングな展開を醸し出しているのでしょう。

 隼について思いを巡らす時、「よくヒロイン達の誘惑に傾かず、バランスの取れたカフェ経営を続けられているな」と考えずにはいられません。彼がドンファン的存在だとしたら、ヒロイン達をハーレムの如く囲い込むでしょう。さながら大奥の世界観です。それはそれで男女関係の真理を突く作品として深みは出るのかもしれませんが、恋愛のときめきを感じられる内容にはならない筈です。

 さて、粕壁隼はヒロインに接する時、彼女たちを「平等に扱う」ことをしきりに意識します(3巻#22「海の家」他)。なぜ彼は誘惑に抗い、そう出来るのでしょう?

 隼に向き合い特に想起するのが、フランスの思想家ジャン=ジャック・ルソーです。中学公民や、高校の政治経済では必ず名前を見聞きする人物かと思います。歴史に名を遺す思想家の大半が高等教育を受けているのとは対照的に、ルソーは生涯にわたって一度も公的な教育機関で学んだ経験がありません。その点ではアカデミックの権威とも言える東大生の隼とは異なります。が、隼のような思想を抱く人間が自然と育つような社会を願望したのが、他ならぬルソーであったろうと私は考えるのです。以下、ルソーの思想に触れつつ説明していきます。

 中学公民の復習みたいですが、ルソーはジョン・ロックやモンテスキューと共に「啓蒙思想家」と呼ばれています。強大な王政政治が敷かれている近代以前のヨーロッパ社会では、階級制度が徹底され平等や自由という観念自体が発達していませんでした。理不尽な法であっても、絶対的な権力を握る王の発令であれば従わざるを得ません。制度としても実態としても貧富格差は尋常ならざる状態であった訳です。

 そうした理不尽な政治体を乗り越え、いかに自由や平等が成り立つような新たな政治体を構築出来るのか・・・社会の不条理を何としても克服したいと願う哲学者は、まず理想的な政治体の青写真を描くことを始めます。

 それを実践したのが啓蒙思想家です。彼らはこう考えました。「王権の圧政に耐えられなくなった人々は、その王政を否定し人民主権の新しい国家を作ることに賛同するだろう」と。その際、人々によって形成される新しい国家像への同意が「社会契約」と呼ばれます。社会契約は家の賃貸借契約や労働契約のように書面を交わすものではありません。新しい枠組みの国家を築くにあたって、自然と人々の間で立ち上がる書面なき契約なのです。

 「政治思想がなぜ抽象的で霞をつかむような話になりがちなのか?」。学生時代に疑問を抱いた方も多いでしょう。それは社会契約に代表されるように、理想の政治体を生み出すために空想せざるを得ない概念が多いのも理由かと思います。その意味で啓蒙思想家は、ともすると誇大妄想と紙一重と言えるのかもしれません。

 社会契約を唱えた啓蒙思想家の中でも、ルソーはとりわけ国家内における平等と自由を強調しました。そして彼の死後、ルソーの社会契約論はフランス革命に大きな影響を与えます。現代において、フランスは特に個人主義が強く、ストライキが多い国です。それは取りも直さず「国家内の自由平等が優先され、その権利は市民自らが獲得する」という革命の経験が影響しているのかもしれません。その基にはルソーの影響があることを忘れてはいけません。

 さて、現代に生きる私達にとって自由平等を貴ぶことは最早常識です。東大に入学した隼ですが、無意識にエリート意識が育まれてか、秩序の監視意識や順法精神の高さを垣間見せる描写が度々見られます(2巻#11「零式!」等)。一般的な教育で隼のような思想の学生が育てられることなど、ルソーの生きた時代では困難であったと思います。天国のルソーが彼の言動を見たら、きっと感動で涙を流すことでしょう。

 私も学生時代のゼミやアルバイト先で、女性の多い環境下にいた事がしばしばありました。が、その時置かれた立場はドラマ「ショムニ」の森本レオ扮する課長の如く、およそ女性から誘惑されることからほど遠い存在でした。政治的平等が叫ばれて久しいものの、男のダンディズムに関する不平等はいつ解消されるのかと、私は隼と己の運命を呪わずにいられません。

 最後に、主人公・粕壁隼は一言でどんな存在だと言えるのでしょうか?明治維新時、ルソーの思想を日本に紹介した思想家・中江兆民は「東洋のルソー」と呼ばれました。それを踏まえると隼はファミリアの立地も絡め「三浦海岸のルソー」と言えるのかもしれません。しかし三浦海岸のルソーも、将来ヒロインのいずれかと結ばれることは、父親になった隼とその娘が登場するシーンから推察されます(3巻#27「未来と、過去と」)。ヒロインの誘惑になびきかけている描写は散見され、よく耐えていると思うんですが、隼が自由平等を標榜するファミリアの秩序は果たしてどうなってしまうのか?そして隼はどう決着をつけるのか?コラムはここで終わりますが、私の思想的探究は続いていきます。

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