アニメ放送直前「女神のカフェテラス」鳳凰寺紅葉を思想哲学的に考察 セクシー美女と「自由論」の関連性

マザー・テラサワ マザー・テラサワ

 ラブコメのヒロインを思想哲学的に考察する。週刊少年マガジン(講談社)連載中の「女神のカフェテラス」(作・瀬尾公治)のテレビアニメが、4月7日からMBS・TBS系でスタートすることを祝して、早大大学院で政治哲学を専攻し、哲学をモチーフとしたネタを展開する〝哲学芸人〟マザー・テラサワが登場。祖母の遺産である喫茶店を継いだ主人公と、5人の女の子による共同生活とその経営模様を描く同作において、ヒロインの幕澤桜花、鶴河秋水、月島流星、小野白菊、鳳凰寺紅葉から、第4回は紅葉をチョイス。イギリスの思想家ジョン・ステュアート・ミル(1806-1873)の「自由論」で展開されている議論との関連性が明らかとなった。

 ◆セクシーで孤高のヒロイン

 周囲と馴れ合わない、刺々しく色気漂う孤高のバンドボーカリスト…鳳凰寺紅葉はそんなヒロインです。私が彼女と同じように振る舞えば、嫌が応にもピエロに成り下がるでしょう。分相応の器があると分かっていても、世界は不平等だと改めて感じます。

 通っていた高校の文化祭で行われたカラオケ企画を思い出します。希望すれば体育館のステージに立つことができ、皆が思い思いの流行曲を歌っていました。高2の時、女子人気の高い同級生がエントリーしました。校則の厳しい学校でしたが、彼は制服を着崩し、染めた髪を遊ばせ、ビジュアル系の趣ある恰好で、大半がカラオケ音源を用意する中、同級生でこれまた溌溂な女生徒が弾くピアノをバックに、GRAYのバラードを歌い上げました。最初は「文化祭の余興で何格好つけているんだ」と嘲笑っていた私ですら、彼の歌唱力は凄まじく、彼女のピアノも完璧、ナルシストが様になる不思議な魅力も相まって、気がつくと聴衆全員で歌声とピアノに聴き惚れていた訳です。

 私は卑しい男で「奴はあの女性を口説くためにピアノソロを任せた、言わばカラオケを色恋の手段に利用した」と妄想を抱きました。今思うと、ミュージシャン的存在の醸し出す色気に対し、芋臭い男子生徒だった私はジェラシーを抱いていたのでしょう。この経験のせいか、男女問わず孤高で色気あるミュージシャンを見ると私は脊髄反射で「いけ好かない」という偏見を抱いてしまいます。

 …なので鳳凰寺紅葉の分析に際しては、その辺りの私情を排するよう努めていきます。前置きが長くなってしまい申し訳ございません。

 さて、周囲に尖りを見せることの多い鳳凰寺紅葉ですが、その態度は彼女の抱える固有の苦悩に起因します。「デートと、本音」(3巻#18)によると、紅葉の実家は200年続く名家で亡きお父さんは貿易商を営んでいました。彼女自身も親族から跡取りを期待され、許嫁もいるようです。そのせいか紅葉は将来に対し常に諦念を抱えつつバンド活動を行い、その傍らでカフェ・ファミリアの共同経営に勤しんでいる訳です。ある種モラトリアム的動機で生きているからこそ、彼女は常に冷めた態度を取ってしまうのかもしれません。しかし、オーナー・粕壁隼の言葉に触発され、紅葉は自身で決めつけていた運命に抗い、未来を切り開き、本当になりたい自己像を模索する様が描かれていきます。

 現代でこそ「個性」を追求し、なりたい自分になろうとする価値観は当たり前のように信奉されていますが、前近代では事情が異なりました。階級社会では将来の職は決められ、結婚においても自由恋愛が認められず家や共同体の事情が優先されてきたのです。

◆個人が個人として

 そうした状況を脱し、個人が個人として既存の価値に囚われない生き方をするべきだという観念を促した意味で、功利主義哲学を唱えたイギリスの哲学者ジョン・ステュアート・ミルの「自由論」は古典中の古典です。「個性」に関して述べられた章を読んでいると、まるで紅葉の抱えている悩みと願望がそのまま書かれているかのような錯覚に陥ります。

 ミルが自由の重要性を説いた時代、家柄や階級、王権政治や宗教的事情による「慣習」に縛られる人々が多数を占めていました。その「慣習」を吟味せず慣習の内部に留まり続ける限り、人間は自由を獲得することはないとミルは述べています。時代錯誤的に見える紅葉の悩みは、前近代性の乗り越えに直面した、かつての人類が共有した悩みであると言い換えても良い訳です。

 しかし、個性を追求することにはまた別の苦悩が伴います。この経済社会に生きる以上、個性は自分に価値をつける営みと同義になります。紅葉はファミリアのメンバーで誰よりも古いしがらみに囚われ、誰よりもしがらみから解放されることの厳しさを理解するヒロインです。

 紅葉にとってのファミリアとは、自己解放・自己実現の場としての意味合いが強いのでしょう。自分に価値をつけること、自己を見出すことに対する人一倍の執着から、彼女はファミリアで最もコーヒーの淹れ方が得意になりました(3巻 #19「アタシの一年」)。他のヒロインを前に隼への恋愛感情をむき出しにする様も、「自由恋愛の世界は競争が生じる市場である」ということを誰よりも認識しているからだと私は推察します(4巻 #37「湯の中、揺らめく」他)。しかし、紅葉は周りの人間を単なる競争相手とみなす訳ではありません。逆説的ですが、己の価値は他者からの承認があって初めて決まるものだからです。強い個を放ちつつ、紅葉は周りのメンバーのかけがえのなさにも心の底では気付いている筈です。事実、紅葉は「家族を大切に」という、亡き隼の祖母の遺言には終始忠実です。

 また、紅葉はおばけが苦手で、夜中一緒にトイレへ向かうことを度々隼に求めています(5巻 #44「ファミリアに黒い影」他)。自由を求める彼女が、慣習や伝統がもたらす信仰や今は亡き先達への畏怖心に囚われていることの象徴といえます。誰よりも伝統を忌み嫌うのに、誰よりも伝統にも囚われる、そんなジレンマの中にいるのが鳳凰寺紅葉というヒロインなのです。

 …本当にどうでもいいことについて恥を忍び書きますが、ミュージシャンの孤高さをいけ好かないと述べた私も、度々一人カラオケに向かい米津玄師やサカナクションなどを歌うことがあります。それらを歌って様にならない事は分かっています。が、そういう人生を生きたらどうなっていたのかと思うこともたまにはある訳で。紅葉とはまた異なる意味でのジレンマです。まあ、現世では無理そうなので来世に期待ですかね。

 以上から鳳凰寺紅葉というヒロインを形容すると、「自由と伝統の相克に佇む女神」ということになるでしょうか。いつかはニューヨークの自由の女神の如く、普遍的な独立を勝ち取ったヒロインになる日が来ると、私は勝手ながら期待しています。

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