
昨今、音楽ライブ映画公開が激増している。
TOHOシネマズに尋ねると「ライブはチケット代も高く、遠方の人は見に行けないこともあり、好きなアーティストのライブを映画館料金で見られるメリットに気づいた若年層も増えている」とのこと。確かに通学圏内にある映画館は安全な環境であり、2時間にまとまったライブ映像となれば小中学生の子どもを持つ親も安心して送り出せる。その影響もひとつあり、ホームシアターと一線を画すために、ライブ会場の音響を再現するかのようなシアターへとリニューアルする劇場も増えている。
そんな映画館の「音」へのこだわりは、上映作品の幅を広げ、客層を広げるきっかけにもなっている。例えばレジェンドアーティスト、エリック・クラプトンによる中毒患者救済施設の為のベネフィット・コンサート「クロスロード・ギター・フェスティヴァル2023」の模様をまとめた映画(1/31公開)では、往年の音楽ファンらしき観客が多く来場した。
このように「音」にこだわったシアターは、IMAXに続き劇場の目玉となり、ライブ映画はもちろん、それ以外にも歌唱シーンの多い映画が好んで上映されている。
そんな中、「第97回米アカデミー賞」の作品賞、監督賞、主演男優賞含む8部門でノミネートされた、60年代に登場した伝説のアーティスト、ボブ・ディランの半生を描いた『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』が2/28に公開される。
興味深いのは『君の名前で僕を呼んで』(2017)、『DUNE/デューン 砂の惑星』(2021)、『ウォンカとチョコレート工場のはじまり』(2023)などの人気若手俳優ティモシー・シャラメがプロデューサーにも名を連ね、自らギター演奏と歌唱に挑戦するほど惚れん込んだ作品だということ。
ボブ・ディランと言えば、ハーモニカとギター演奏をしながらややしゃがれ声で歌うスタイルが定番。それをティモシー・シャラメは5年を費やし、吹き替えなしですべて演技で披露しているのだ。実際にスクリーンで歌うシーンを目にした時は、リップのズレは無いかと疑うほどボブ・ディランに近い声色であり、弦に触れる指先の動きもしっかり映っていた。
もちろん、他の俳優陣もギタープレイと共に歌唱も担っている。エドワード・ノートンに至っては、ピート・シーガー役をやるにあたり、フォーク・バンジョーを2ヶ月ほどで習得したそうだ。
これに関して付け加えると、『エルヴィス』(2022)のオースティン・バトラーは13歳からギターを演奏し、ピアノも好んで弾いていており、歌唱力もあったのでエルヴィス・プレスリーの役をオーディションで掴んでいる。『ロケットマン』(2019)のタロン・エジャトンはエルトン・ジョンを演じる上で吹き替えなしで歌唱に挑んだが、ピアノはすべてを演奏は出来なかったし、『ボヘミアン・ラプソディ』(2018)のラミ・マレックもフレディ・マーキュリーの独特なパフォーマンスを習得するだけで時間を要したほどだ。それだけレジェンドと言われるアーティストを演じるには演技以外のスキルも必要とされる。しかも劇場に足を運ぶ人の中には、アーティストのアルバムを何度も聴いた「音」に敏感な音楽ファンも間違いなく居る。
『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』では、1960年代初頭のニューヨークで、若きボブ・ディランがライブハウスでの演奏を経て、野外コンサートでも注目され、カリスマ・フォーク・シンガーとなり、フォークの祭典「ニューポート・フォーク・フェスティバル」での伝説的なギタープレイに至るまでが描かれている。何故、フォークの申し子がアコースティック・ギターではなくエレキギターを手にしたのか。多くのフォークソング愛好家やフォーク・シンガーを前に彼は何を伝えたかったのか。
ボブ・ディランというカリスマに最大限の敬意を払い、ティモシー・シャラメは俳優として唯一無二の自分を表現する上で、歌も演奏も「自演」を選び、ライブを再現したかったのであろう。そんなティモシー・シャラメによるボブ・ディラン映画は、「音」にこだわったシアターでも上映される。クライマックスのフォーク・フェスティバルを、その場に居るかのような臨場感で私個人も今一度堪能したい。