東京にあった「生まれ変わり物語」藤蔵・勝五郎を巡る奇妙でリアルな伝説 日野市と八王子に残る記念碑

穂積 昭雪 穂積 昭雪
画像はイメージです(dimensdesign/stock.adobe.com)
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 東京都日野市にある寺院・高幡不動尊には世にも珍しい「生まれ変わり」記念碑が建てられている。生まれ変わりとはその名の通り、死んだ人間が再び人間となって転生し新たな人生を歩むことをいう。生まれ変わりの事例は日本のみならず世界でも様々な記録が残っており現在も研究が続けられている。

 「藤蔵・勝五郎生まれ変わりゆかりの地」と書かれたこの記念碑は、江戸時代後半の東京都日野市および八王子市にて発生した奇談「勝五郎生まれ変わり物語」を現在に伝えており、関連した看板や碑は両市内に複数個存在している。

 何故このような奇談を記録した碑が日野市および八王子市内に残っているのであろうか。「勝五郎生まれ変わり物語」は以下のような話である。

 文政5年(1822年)の秋、中野村(現:八王子市東中野)に住む勝五郎という少年が、「自分の前世は程久保村(現:日野市程久保)に住んでいた藤蔵という少年である」と家族に言い出した。家族達も最初は子供の冗談かと思っていたが、勝五郎の話す藤蔵および生まれ変わる瞬間の話はあまりにリアリティがあったため家族達は「本当の事かもしれない」と考え直すようになり、勝五郎は祖母と一緒に一里半(約6キロ)ほど先にある程久保村へと出かけた。程久保村には勝五郎の言う通り、藤蔵という少年が天然痘で早世しており、その藤蔵の顔は中野村からやってきた勝五郎に瓜二つだった……という。

  この奇妙な生まれ変わり物語は遠く離れた江戸にも伝えられ、勝五郎は「ほどくぼ(程久保)小僧」と呼ばれ有名となり、彼に興味を持った文学者の池田冠山や国学者の平田篤胤といった文人達が勝五郎と直接面会し詳細な記録を取っている。また、明治期に入ると日本研究家の小泉八雲の手によって海外に紹介されたほか、平成期には俳優の丹波哲郎が製作した映画『大霊界3~死んだら生まれ変わる』(1994年)において大きく扱われるなど、心霊研究家の間では広く知られた話ではある。

  他の「生まれ変わり物語」に比べ勝五郎の話が特に注目を集めた背景には、当事者たち(勝五郎および藤蔵)の墓などが現在も残っていること、勝五郎の証言を当時の優秀な文人達が記録したことなどが挙げられる。

  多くの研究家が「勝五郎生まれ変わり物語」に強い関心を寄せた一方、地元である日野や八王子においては古い話ということもあってか語り継ぐ人が少なくなっていた。そこで2006年には日野市郷土資料館の委託調査事業として「勝五郎生まれ変わり物語探求調査団」が発足。調査団は展示会のほか物語を紹介したDVDや絵本などを製作。その活動のなかで記念碑や看板が製作されたのである。

  毎年10月10日の勝五郎の誕生日(藤蔵が勝五郎に転生した日でもある)前後には高幡不動尊では「生まれ変わり記念日講演会」(2024年度は10月12日に開催予定)が行われているほか、高幡不動近くの和菓子屋では「ほどくぼ小僧まんじゅう」が通年で販売されている。

 「生まれ変わり」は本当にあるのか、勝五郎は藤蔵の生まれ変わりだったのか、日野市および八王子市へ来た際は「生まれ変わり伝説」の現場を巡ってみるのはいかがだろうか。

 ◆勝五郎生まれ変わり物語  https://umarekawari.org/

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