ザ・ドリフターズの高木ブーが8日、90歳の誕生日を迎えた。2月にはハワイで開催された音楽イベントで80代最後のライブを行い、仲間たちから一足早い誕生会で祝福された。帰国した高木が、よろず~ニュースの取材に対し、「卒寿(そつじゅ)」を迎える心境などを明かした。
高木が参加したイベントは2月17日-19日に開催された「第14回ウクレレピクニック・イン・ハワイ」。バンド「1933ウクレレオールスターズ」の〝象徴〟として、メンバーであるサザンオールスターズの関口和之、〝歌姫〟の荻野目洋子、〝よっちゃん〟こと野村義男、分山貴美子、はたけやま裕、YANAGIMANらとステージに上がった。
バンド名にある「1933」とは高木の生年(昭和8年)。15歳から始めたウクレレ歴は実に75年となる。高木は関口が作詞作曲した「パパの手」や「ハワイアンメドレー」などを披露し、締めくくりはドリフターズの「いい湯だな」で会場一体となって盛り上がった。
誕生会では、ドリフ時代のコントでトレードマークとなった「雷様」がウクレレと共にデザインされた特注のケーキが登場。ハッピーバースデーの歌と共に高木が「90」をかたどった金色キャンドルの火を吹き消した。
「今回、3年ぶりの『ウクレレピクニック・イン・ハワイ』で3日間のライブだったのですが、最後の日にそんなサプライズがあったとは知らされていませんでした。海外で90歳のお誕生日をウクレレオールスターズのメンバーをはじめ、ファンの皆さん、関係者の皆さんにお祝いしてもらって、その喜びは例えようのないものでした。ウクレレオールスターズのメンバーがハッピーバースデーを歌ってくれたんだけど、皆で練習もしてくれたみたいで、素敵な演奏でした」
そう感慨に浸る高木。コロナ禍の中、ハワイでのライブを待ち望んでいた。
「コロナのため3年間ハワイでライブができず、ずっとオンライン配信だったので、80代最後にハワイでできた事はとても良い記念になりました。ライブが終わってから、アラモアナセンターのウクレレ屋さんに行ったのですが、そこでメインランド(※米国本土)から来たご夫婦に会って、その方が僕のライブをたまたま観てくれていて、僕のステージ写真まで撮ってくれていた事に感激してしまいました」
そして、90代を迎える。その心境は。
「例え方がおかしいかもしれないですが、気持ち的には29歳から30歳になる時とか、59歳から60歳になる時とか、それと同じような気もしますが、90歳まで来ると『100歳まで頑張ろう』という気持ちが強くなりました」
「100歳現役」宣言が飛び出した。昨年10月に仲本工事さん(享年81)が亡くなり、ドリフの存命メンバーは今月1日で80歳になった加藤茶と高木の2人に。今後どのようなスタンスで活動していくのだろうか。
「2人で何ができるかはまだ未知数だけど、変わらず、皆さんに笑ってもらえればと思います。僕たちのベースは音楽コントなので、若手の人たちにも加わってもらって、色々やりたいなぁ。ファンの皆さんには6人のドリフターズ(※加藤と高木に、いかりや長介さん、仲本さん、志村けんさん、荒井注さん)を忘れないでほしいです。加トちゃんと僕はまだまだ頑張るつもりですので、変わらず応援してもらえるとうれしいです」
「90歳のお祝い」として本を2冊出す事も決まった。2年前に出した画集の第2弾「高木ブー画集RETURNS-ドリフターズよ永遠に」(ワニ・プラス)が今月20日に、「第5の男」以来20年ぶりとなる自叙伝「アロハ90歳の僕 ゆっくり、のんびり生きましょう」(小学館)が4月に出版される。
今後もウクレレと共に「無理をしない」ブーさん流の生き方で、ゆっくりと日々を積み重ねていく。