日活ロマンポルノ50周年 切通理作氏が時代と作品を振り返る 

切通 理作 切通 理作

 今年は日活ロマンポルノ50周年だが、シネマヴェーラ渋谷で「日活ロマンポルノ50周年・私たちの好きなロマンポルノ」(11月20日〜12月17日)が特集上映される。それを記念して、小文をしたためた。

  ロマンポルノとは、日本で一番古い映画会社であった日活が、1971年(昭和46年)から1988年(昭和63年)、成人指定のポルノ映画に特化した作品を送り出していた時期の総称である。

 ロマンポルノ回顧の特集上映は以前も節目節目で行われていたが、スタート初期の1970年代前半、まだ学生運動全盛期の余韻覚めやらぬ世の中の混沌と同時代の空気を共有する野心的な作品……言葉を変えれば映画として評価の定まった作品が重視されることが多かった。

  その時期はまだポルノ映画としての作り方のフォーマットも定着しておらず、神代辰巳、藤田敏八、そして田中登といった突出した監督たちが、一本の映画として、男女の性のありようの変化に向き合っていた。

 初期の鮮烈な作品群

  大阪釜ヶ崎の通称「あいりん地区」で実際にロケされ、季節労働者たちと娼婦の群像を赤裸々に描いた田中登作品『(秘)色情めす市場』(74)は、モノクロのパートカラー作品だ。ロマンポルノの開始以前からあった独立プロダクションの所謂「ピンク映画」でも「パートカラー」方式は採用されており、セックスの場面になるとカラーになるというのが売り物だった。

  ところがこの作品でカラーになるのは、芹明香演じるヒロインの、重度知的障害を持つ弟(夢村四郎)が、鶏の死骸をぶら下げて通天閣をよじ登り、やがて迎えるある瞬間に至る場面であり、セックスシーンでもなければ所謂「エロい」描写でもない。

  このくだりの前に、ヒロインがこの弟とセックスしてしまう展開があるのだが、そこはモノクロのままなのである。

  私がこの作品を初めて見たのは80年代前半。もうロマンポルノの現行作品には、「ポルノ」として必要な刺激を与えるショーアップされたルーティーンが確立されていた時期だったので「こんなことが許された時代があったのか」と、驚いたものだ。

  同じ田中登監督の『牝猫たちの夜』(72)という作品で、新宿の街を舞台に、ソープランド(当時は別の名前で呼ばれていた)で売春をする若い女性たちと、学生運動後の喪失感を抱えた青年を含む、男たちとの交流が描かれるが、彼女たちが路上に横になったまま朝を迎えて、新宿のデパート街が営業開始の自動シャッターが開いていく場面も鮮烈だった。ここでは売春という生殖につながらないセックスと、激しい時代の終焉から次の時代に移る狭間の時間が一つの軸になっている。

  それは子ども時代、デパートに家族で食事に行くことを日常のヒトコマにしていた筆者にとっては、見慣れた光景のふと横に、まったく目を向けなかった退廃的な世界が広がっていたことを知ることにもつながった。そこには将来への夢につながる希望もないのに、抗いがたい吸引力があるのを感じられた。たとえ行き着く場所がなくても、そこには生命力の息吹があるのだ。

  小沼勝監督『生贄夫人』(74)は谷ナオミ主演のSMシリーズの一作だが、いつもの団鬼六先生の原作付きではなく、脚本家・田中陽造のオリジナルで、SMの名を借りた、ある別れた夫婦の復縁までの過程を描くものだった。

  映画の冒頭近く、この夫が世間でしたことが警官から妻に告げられる内容は、ここで書くのもはばかられるようなものであり、彼は、人間の健全な成長も生と死のタブーすらも冒涜し侵犯してきた男だ。その彼との再会は異形の愛そのものを生きることであり、最後、突入してきた警官が縛られたまま一人悶絶する谷ナオミの姿を目撃するくだりはショッキングだがカタルシスがある。

 このように、性の表現は現在よりもはるかに、一般的に言われる社会的な健全性との対立軸を持っており、だからこその魅力を放ってもいたのである。

 

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