さだまさしと万葉集にも歌われた悲劇の美女・手児奈との1000年を超える縁

今野 良彦 今野 良彦
写真はイメージです(Seira Amani/stock.adobe.com)
写真はイメージです(Seira Amani/stock.adobe.com)

 あのさだまさしと『万葉集』にも歌われた悲劇の美女・手児奈(てこな)とが紡ぐ関係を知っていますか?手児奈という人物は、市川市公式Webサイトにある市川のむかし話「真間の手児奈」として掲載されています。また、市川市では「てこな」という名前の地域通貨にも取り組んでおり、地元で手児奈を知らない人はあまりいません。

 手児奈は、奈良時代以前に真間(現千葉県市川市真間)に住んでいたと伝わっている絶世の美女です。あまりの美しさのため、嫁ぎ先でも離縁された後でも男たちが争いを起こし、これを悩み真間の海に身投げした人物です。

 この悲劇が万葉の歌人たちの想像力をかき立て、山部赤人が「巻の四・431」で、また高橋虫麻呂が「巻の九・1808」で詠んだことでも知られています。この故事を聞いた、奈良の大仏建立の実質に責任者としても有名な行基が、手児奈の霊を慰めるためにこの地に「真間山弘法寺」を開きました。そして文亀元(1501)年、「弘法寺」の第7世・日与聖人が手児奈を祀(まつ)るため「弘法寺」のそばに建立したのが「手児奈霊神堂」です。日与聖人の夢枕に手児奈が立ち良縁、安産を約束したことで建立したとされ、良縁祈願、安産祈願の人が多く訪れる場所となっています。

 私が現地に行ったときは、異常な暑さに加え、新型コロナウイルス感染症拡大の影響で、首都圏に緊急事態宣言が発せられているため、参拝の人はいませんでした。

 ここで私は不思議なものを発見しました。なんと「関白宣言」など数多くのヒット曲を持つシンガー・ソングライターさだまさしが奉納した「縁結び 桂の木」です。

 立て札には1981(昭和五十六)年7月26日に、当時、市川市に住んでいたさだまさしが奉納したと書かれていました。桂の木は、北海道乙部の「縁桂」などでも有名なように、縁結びの神が宿るという霊験あらたかな木です。

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