【ヤマザキマリ氏あいさつ(一部省略)】
この度は栄えある賞をありがとうございます。選考委員の皆さまありがとうございます。読者の方にも感謝いたします。読むのが大変面倒臭いところもありますが、めげずに12巻まで完読してくださった方もいると思います。
私は14年前に「テルマエ・ロマエ」という漫画で短編賞をいただいております。ローマを描いた作品で、二度も手塚さんの賞をいただくというのは、古代ローマの力が私に働きかけているのではないかと思っています。
私はイタリアで半分を暮らしている状態です。イタリア、フランスに行くと、DNAに一抹たりともローマ人の血が入っていないお前が、なぜこんなにローマのことを描けるんだ、ということをよく言われます。私がフィレンツェに画学生として留学していた1980年代後半、そのときに美大の留学生が置いていき、私に託した本の中に、澁澤龍彦さんの「私のプリニウス」とう本が入っていました。巷でイタリア人たちが学校で学んできたプリニウス像を、澁澤さんが本当に自由な感性で面白おかしく分析していく文章が面白すぎました。ところが、それをイタリア人とは共有できない。それはなぜだろう。
それは、私が日本人だからです。「テルマエ」はお風呂という共通点で、「プリニウス」に関しては火山があり地震があり、そして津波、さまざまな被害とともに歩んできたイタリア半島に生まれた博物学者が見てきたもの、彼の感性によるあらゆる表現というものが、私にはすごくよく分かるんです。私は元々子どもの頃から昆虫が大好きで、本当に野山を駆け巡って育ってきました。プリニウスという存在自体が、私の頭の中では、確実に具象的なものとして立ち上がってくるんです。
イタリアの人たちには、そこまでプリニウスを形にすることができていなかっただろうし、おそらく今もなんで君はこんな発想があるんだと驚かれるぐらい、立ち位置的なものが違ったということが、比較文化じゃないですけど、少し分かってきました。
「博物誌」というのは古くから読まれてきた文献で、読み継がれるにふさわしいものが書かれている。私は幸いに手塚治虫さん、水木しげるさん、そして藤子不二雄さんらを読んできたおかげで、それを絵で表現できるというスキルを身につけていました。それによってできたのが「プリニウス」という漫画です。
漫画で私は、プリニウス、博物学者そのものも博物誌の対象として描こうと思いました。ネロという皇帝と比較させることによって、人間・人類という宿命で生まれてきた地球での生き方、そういったものを存分に描けたような気がします。
14年前は手塚文化賞を取ったときに、私の息子から電話で一言、「え~、あんな漫画でそんな賞を取ったの」と言われました。今回は素直に喜んでくれました。非常に満足しています。
今回はこの賞を、まずは古代ローマに、そしてプリニウスという素晴らしい博物学者に、そして手塚治虫先生をはじめとする私に漫画というスキルを与えてくださった漫画家の方々に、そしていろいろありましたけど頑張れたプリニウスに捧げたいと思います。この度はありがとうございました。
【とり・みき氏あいさつ(一部省略)】
表彰式の打ち合わせの段階で「漫画家の方はみんな寡黙なので、与えられた時間より早く終わってしまいます。たくさん喋ってください、と言われたんですけれど、我々2人はそんなことは全然気にしなくていい。大丈夫どころか巻きが入るかもしれません。
本日は令和6年6月6日という、不吉な日に皆さんご参集いただきまして、ありがとうございます。感謝を申し上げなくてはならない方はたくさんいますが、プリニウスというのはヤマザキさんがだいぶ前から温めていた題材です。実際に描く段になって、私に声をかけていただいたおかげで今日この場に立つことができました。何よりもヤマザキさんに、ありがとうございます。
手塚さんのことをお話ししますと、私が最初に読んだ手塚作品は鈴木出版の「大洪水時代」と「太平洋X點(ポイント)」の2作品のカップリングでした。小学校に上がる前だと思いますが、今ここに立っていることを考えると決定的な啓示を受けた感じです。というのは、少年ヒーローものは普通にたくさんあったんですけれども、そういう勧善懲悪ではなく、人類を俯瞰するような視点で両作とも描かれていました。しかも「大洪水時代」のプロローグは旧約聖書の時代から始まっています。スペクタクルな面白さ、漫画でこういうことを描けるんだと、学びました。
私はいろんな漫画家から影響を受けました。10年単位で区切れば、この人に影響を受けた、という方がたくさんいるんですが、おおもとで一番ギャグマンガとして影響を受けた人は誰かといえば、それも手塚治虫さんなんですね。手塚さんのちょっと楽屋オチ的な、メタ的なギャグ、物語自体を外側から見るようなギャグに感化されました。漫画家になる時、少年誌の漫画賞の選考委員にも手塚さんがおられた。こういう場に立たせてもらい、幼稚園時代から呪いをかけられてるようで、ものすごく感慨深いものを感じます。ヤマザキさん同様、手塚治虫さんにも「ありがとう」と申し上げたいです。