「女の子がいる場所は」漫画家やまじえびね「描きたいことはないけれど、描けることはあるんじゃないか」

山本 鋼平 山本 鋼平
手塚治虫文化賞贈呈式の会場に展示されたやまじえびね「女の子がいる場所で」のパネル=東京・浜離宮朝日ホール
手塚治虫文化賞贈呈式の会場に展示されたやまじえびね「女の子がいる場所で」のパネル=東京・浜離宮朝日ホール

 漫画家のやまじえびね氏が8日、東京・浜離宮朝日ホールで朝日新聞社が主催する第27回・手塚治虫文化賞の贈呈式に出席した。「女の子がいる場所は」が短編賞に輝いた。

 同作品は宗教も文化も異なる5カ国の少女たちに降りかかる〝女の子だから〟を描いた短編集。サウジアラビアに暮らすサルマは大好きなサッカーを禁じられ、第二夫人の母に「わたしたちは結婚しないと生きていけないの?」と心の中で問いかける。

 やまじ氏は「とても緊張していますが、ここに至るまで簡単にお話しします」と切り出し、これまでの歩みを語った。

 「38年前に私はデビューしました。高校に入って、高野文子先生の作品に出会い、影響されて、8ページほどの漫画を描いてみました。その漫画の出来がいいのか悪いのか知りたくて、雑誌に投稿したら分かるかも、と送ってみました。するとある晩、電話がかかってきて、担当がつきますから漫画を勉強しませんかというお話。漫画で売れたいと思ったことはありませんでしたが、その時に断る理由が見つからなくて、やってみますと言ってしまいました。そして大学1年でデビューしました。漫画家になることはどういうことか、全然分かりませんでしたが、描きたいことがあるので、それをただ描き続けていきます」

 そう振り返ったやまじ氏に転機が訪れた。

 「ところが近年、描きたいことが出てこなくなりました。もう描きたいことがない。探してみるのですが、どのアイデアもワクワクしない。もう私の漫画家人生、そろそろ終いかなと考えておりました」

 そして、考えに変化が起こった。

 「描きたいことはないけれど、描けることはあるんじゃないか。そこで私が描けそうなことを担当さんに探してもらうことにしました。探してもらったお題を元に、漫画に取り組みました」と語り、担当者に深く感謝の言葉を寄せた。

 「描きたいことがなくなったらダメなのか。そんなことはないと分かりました。『女の子がいる場所で』はそんな風にしてできあがりました。本が出てからの反響が予想を超えてビックリしました。そして今、このような高い所から私はスピーチしています。本当に思いも寄らない驚きの結果が出ました」と語り、選考委員に感謝の言葉を述べた。

 終始、緊張しながらも、視線を落とさず、心中の言葉を必死に紡いだ。「素晴らしい賞を頂き、本当に励まされました。これからも私に描けることがあるならば、描いていこうと思います」とスピーチを締めくくった。

 やまじえびね氏は1985年「LaLa」でデビュー。代表作に「LOVE MY LIFE」「愛の時間」「レッド・シンブル」など。

 贈呈式にはマンガ大賞に輝いた「ゆりあ先生の赤い糸」の作者・入江喜和氏、「断腸亭にちじょう」で新生賞に選出されたガンプ氏、特別賞の楳図かずお氏も出席した。

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