ネス湖での未確認生物「ネッシー」の探索(1973年)、アントニオ猪木とモハメド・アリの「格闘技世界一決定戦」(76年)など型破りな企画で話題を呼び、昨年12月2日に老衰のため死去した〝伝説の興行師〟康芳夫氏(享年87)を偲ぶ会がこのほど、都内で開催された。テレビマンとしての駆け出し時代に康氏から薫陶を受けた演出家・タレントのテリー伊藤がプロデュースと司会を務め、フリーアナウンサーの徳光和夫らが貴重なエピソードや功績を語り尽くした。(文中一部無位省略)
しんみりした会は似合わない。10日に開催された会では冒頭から、チンパンジーと人間の中間と称した「オリバー君」を76年に米国から招へいした際の裏話で盛り上がった。日本テレビ系「木曜スペシャル」で「人間か?類人猿か?『謎の怪奇人間・オリバー!』世界初公開」と題して同年7月22日午後7時半からのゴールデンタイムで放送され、24・1%という高視聴率を獲得した昭和のテレビ史に残る企画だ。
テリーは「今のようなコンプライアンスのない時代だったから許された企画でしたが、その時、私はまだADでして、一晩中、半蔵門のホテルでオリバー君を見ていろ…という仕事を命じられ、徹夜で見ていました。『人類に最も近いチンパンジー』と言われていたんですが、その行動は完全に猿でした(場内爆笑)。でも、すごいなと思うのは、誰が考えても猿だと分かっているにもかかわらず、夢のような視聴率を取った。その男が康さんです。それ以来、ずっと康さんの背中を見ながら今日までやって参りました」と自身の原点を振り返りながら献杯した。
徳光は康氏の母校・海城高校(東京)で後輩だったと説明した上で、日本テレビのアナウンサーとして、オリバー君の歓迎パーティーで康氏の指名によって司会を務めた時の逸話を披露した。
「晩さん会で私が『お待たせいたしました。絶大な拍手でお迎えください。オリバー君です!』と言っても、オリバーが来ないので冷や汗をかきました。『オリバー君も恥ずかしいのでありましょうか。なかなか姿を見せません。お疲れでもありまして…」などと取りつくろった。ホテルのスイートルームで檻に入れられていたオリバーを落ち着かせて会場に連れて来て、席に着かせましたが、来賓の方が挨拶をしている途中で、オリバーは皿を投げるは、フォークやスプーンを投げるは、大変なことになり、お引き取りいただいたという、私のアナウンサー人生の中で一番ハードルの高い司会でした」
その上で、徳光は「あれで私は自信が付いて、そこから司会者として開き直れることができた。おかげで自由な発言もできるようになった。それも全て康先輩のおかけです」と〝司会開眼〟の契機となったことを明かした。
縁のあった著名人や関係者らが多数出席。作家で元東京都知事、参議院議員の猪瀬直樹氏は「康さんは最後の無頼派」と評し、小説家の島田雅彦氏は「基本的にアナーキズムの原理に則っていた方だと理解しております」と指摘した。さらに、脳科学者の茂木健一郎氏、父の代から繋がりのあるボクシング・プロモーターの金平桂一郎氏、編集者の島地勝彦氏、コラムニストの中森明夫氏、タレント・著作家の水道橋博士、女優で参議院議員の石井苗子らが登壇し、思い出を語った。
夜の社交場で実業界、芸能界、文壇などの才人たちと交流し、人脈を広げた康氏。発起人の1人である大手芸能事務所「ケイダッシュ」代表取締役会長の川村龍夫氏は当サイトに対して「康さんとは銀座のクラブでよくお会いました」と接点を明かし、献花台に手を合わせた。
世界的ジャズピアニストの山下洋輔は、康氏が招へいしたモハメド・アリのボクシング・ヘビー級戦のドキュメント盤に収録された曲「クレイ」を会場のピアノで生演奏。発起人に名を連ねた女優・歌手の戸川純も来場し、康氏がプロデュースした奇書「家畜人ヤプー」を舞台化した劇団「月蝕歌劇団」によるパフォーマンスも披露された。長男の永本誠さんが喪主として挨拶し、亡き夫へのエールを込めた妻・永本隆子さんの手紙も代読された。
それは「偲ぶ会」と銘打たれた盛大な〝祝祭空間〟だった。「虚実皮膜」の世界を生きた男はこの世を去ってなお、興行師の爪跡を現場に残して旅立った。