父の死がボドゲ復帰のきっかけに
バンダイから「パンダイネットワークス」(現バンダイナムコ・エンターテインメント)が独立し、主な取引先になった。デジタルやオンラインが主戦場となり、ボードゲーム制作からは距離を置いた。そして現場を離れ管理職に就くことを打診されたことを機に、取引先との関係を維持して独立。2005年5月にルートイレブン社を創立した。
バンダイネットワークスから社名が変わったバンダイナムコゲームスの仕事を中心に受けた。ゲーム企画開発に限らず、サイト運営やバックシステム用のマニュアル制作等も行った。他にも携帯用ゲームや、ネットワークゲーム等の企画開発の仕事を不定期に受けた。
それからしばらくして、パーティジョイが再び注目され、過去作品「ミケ猫トマトの配達屋さん」の取材を受けたことをきっかけに、同人ボードゲーム界との交流が始まった。刺激を受け、ボードゲームを再び制作したい、と意欲が芽生えた。
そんな中、2015年に「欲しいものは自分で作れ」と教わった父が死去。長男として諸事に直面する中で、初の自社製品ボードゲーム「Air Alliance」のルールがまとまった。社業復帰後、ドイツに出展し、ボードゲーム制作への本格復帰を果たした。
父の言葉から生まれた信念がある。駆け出しの頃だった。ゲーム作りを「それは仕事なのか?」と問われた。遊んでいるだけでは?趣味では?という含みだった。野村氏は父の問いかけを、次のように消化した。
「仕事は辛いもの、楽しいことは仕事じゃない、と思われがちな時代でした。自分が作るゲームを子供達が遊ぶ。いじめっ子はわがままにルールをねじ曲げて勝つかもしれない。でもきっと楽しくない。ルールを守って正々堂々と競った結果が楽しいんだと知る。ルールを守って競い合う楽しさ、ケンカではなくゲームという土俵で戦う楽しさを体験した子供達がやがて大人になり、社会を回していけば、きっと少しずつ世の中が楽しくなるだろう。そのためのツールを自分は作っている。仕事とは本来〝社会をちょっぴり幸せにする〟ことを言うのだから、これこそが自分の『仕事』なのだ…。自分の中でそう定義づけられてから、仕事に迷いがなくなり、求められる限りずっとゲームを作り続けようと思いました」
しかし、ボードゲーム制作に復帰後しばらくして、会社存続の危機に陥った。売上の大半を占めていたデジタル・ネットワーク関係の契約が次々に途絶え、売上がゼロになった。起死回生を狙い「クリエイターEXPO」への出展を開始。「ボードゲーム大抵なんでも創れます」を掲げて、販促用ボードゲームビジネスで打開を図った。得意のボードゲームでダメなら仕方ない、と開き直った。「同人ゲームをつくる人はたくさんいますが、企業の注文に応じて、ゲームを商品化するデザイナーは日本で数少ない」という自負が支えだった。結果、菓子のおまけゲームをはじめ、多くのボードゲーム企画業務を受注するようになり会社は生き残った。バンダイナムコ・エンターテインメントからの業務受注、各社からのボードゲーム企画開発業務が二本柱になった。
幼少時に父から教わったゲームを自作する喜び、これまで培った技術が現在の支えとなっている野村紹夫氏。現在も注文を多く抱えており「この年齢でまだ新しいゲームを作れる現場にいること、社会からゲーム作りを求められていることがうれしい」とやりがいを感じている。「楽しく悩めること。悩むことが楽しいこと」と語ったボードゲームの魅力。2024年は「受注もいいですが、久しぶりにオリジナルボードゲームを作りたくなっています。初めてゲームを作って友達から褒められたように、思う存分、自分の好きなようにね。たくさんの人に遊んでもらって、楽しく悩んでもらいたい」。大きな夢を胸に、今年も前に進んでいく。