長与千種が分析「バブルとコロナと女子プロレス」クラッシュギャルズ伝説から海外進出と選手育成へ

北村 泰介 北村 泰介
コロナ禍を乗り越え、海外でのプロレス普及と選手育成に意欲を示す元クラッシュギャルズの長与千種
コロナ禍を乗り越え、海外でのプロレス普及と選手育成に意欲を示す元クラッシュギャルズの長与千種

 1980年代、空前の女子プロレスブームを巻き起こしたタッグチーム「クラッシュギャルズ」の長与千種は、女子プロレス団体「マーベラス」を率いながら、英米、ベトナムなどのアジアでプロレスの普及や選手育成を目指している。

 5月に6周年大会を東京・後楽園ホールで開催した際、同団体所属の門倉凛が佐々木健介と北斗晶の長男・健之介さんと結婚したことを公表し、師匠にして母親的な存在である長与の名も合わせて報じられた。プロレスから遠ざかっていた人も改めて、その存在を再認識した人も少なくないだろう。

 長崎県大村市出身。上京して全日本女子プロレス(全女)に入門し、1980年8月に15歳でデビューした。83年にライオネス飛鳥とクラッシュギャルズを結成し、翌年にWWWA世界タッグ王座に輝き、「炎の聖書」で歌手デビュー。テレビでは歌番組のほか、TBS系ドラマ「毎度おさわがせします」に本人役で出演するなど、プロレスの枠を超え、一般層にも知名度が浸透した。85年8月、大阪城ホールでダンプ松本との「髪切りマッチ」に敗れてリング上で髪を切られ、ファンの少女たちが泣き叫んだ光景は語りぐさになっている。ブームの頂点だった。

 89年に引退も、93年に復帰。団体「ガイア・ジャパン」を旗揚げし、その後も引退と復帰を重ねながら、マーベラスを設立。16年に旗揚げ戦を行なった。50代を迎えて新団体を立ち上げた背景には恩人たちへの思いがあった。

 全女の元会長で09年に死去した松永高司さん、10年前に亡くなった元ボートレーサーの父・長與繁さん。後輩で元付き人の北斗や新団体でも行動を共にしたKAORU。そして、リングから一時、舞台に活動の場を移した時に出会った劇作家・つかこうへいさんの存在も大きい。

 91年、長与は女子プロレスを題材にした、つかさんの作品「リング・リング・リング」で主役を務めた。「つかさんには『プロレスを変えてくれ、お前がプロレスを作ってくれ』と言われました」。つかさんは10年7月に亡くなったが、恩師の言葉は今も長与の心に生きている。

 そうして立ち上げた新団体もコロナ禍に直面して2年半。熱狂の渦中にあった80年代と現在を比べた時、長与には隔世の感があるようだ。

 「あの時代は基本、世の中では人の波に活気があり、全てが底上げされていた。クラッシュギャルズはそこにはまった。都内ではタクシーがつかまらないバブル景気の時代。コロナ禍以降の今、世の中は『守りの状況』にあって、円安もあり、物も高くなっていて、みなさん思い切った行動ができなくなっている。当時と今とは全く違う。コロナ禍で時代が変わり、文化も変わった。携帯も電話のできるパソコンになり、物を買うことも、銀行に行かなくても済むし、プロレスもネットで選手のつぶやきや情報を拾える時代。コロナで外に出ないことに慣れてしまって、スマホ携帯やタブレットで試合やライブを見る。ただ、地方の人で東京まで来られない人にとって、それはギフトでもあり、すべて否定することはできない。社会のリズムが変わってきた。ユーチューブでいろんな団体の試合が見られて、情報が交錯する。同じ地球で今、戦争が起きていることをネットで実感する時代になった」

 ただ、時代は変わっても選手にとって体が資本であることに変わりはない。「膝、肩、腰など、それぞれの部位の専門医と連携を取って、常時、少しでも調子が悪いとなれば、医師の診断を受け、CTやMRI検査もして、未然に事故を防ぐ体制にしている。メンテナンスや筋肉をほぐす先生もいる。どんなスポーツでも、ケガは予期しない時に起きる。どんなに注意しても、選手が体を動かせば、何が起きるか分からない」(長与)。体のケアには万全を期す。

 プロレス以外で取り組む活動もある。犬や猫などペットとの共生だ。都内で08年から経営したドッグカフェは団体の経営が忙しくなったため、20年に閉店したが、長与は「今も犬猫の譲渡会を続けている。団体の選手たちも動物愛護を意識してくれています」と明かす。

 団体の選手やスタッフは家族。そして、親への思いも忘れない。母・スエ子さんは繁さんが眠る墓のある大村にいたいと、現地の介護施設にいる。「コロナ禍では会いたい人にもなかなか会えなかったりした。私に限らず、大変な時代。いろんな人がそういう思いを経験したと思います」。娘として東京から気に掛ける。

 今後の目標は海外進出だ。

 「近々、英国に行く予定です。日本を起点に米国、英国、アジアに向けて、技術の高い日本プロレスを届けたい。コロナが落ち着いていけば、今年後半に英国と米国を予定。アジアではベトナムなどを考えています。海外でプロレスを普及させ、たくさんの選手を育てたい。頑張ります」

 女子プロレス界のレジェンドは裏方に徹し、新たな可能性を海外でも模索していく。

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