蝶野正洋がAED体験イベントで「声かけと自助の大切さ」訴え、「心肺停止した馳先生」の例も

北村 泰介 北村 泰介
防災イベントで「声がけ」や「自助」の大切さを呼びかけたプロレスラーの蝶野正洋=埼玉県越谷市
防災イベントで「声がけ」や「自助」の大切さを呼びかけたプロレスラーの蝶野正洋=埼玉県越谷市

 プロレスラーの蝶野正洋が、埼玉県越谷市で開催された防災イベントに参加し、心停止の際などに使う医療機器「AED(自動体外式除細動器)」の普及を訴えた。

 蝶野は一般社団法人「NWHスポーツ救命協会」代表理事、日本消防協会「消防応援団」、日本AED財団「AED大使」としても活動。今回で10回目を迎える首都圏最大級の体験型防災イベント「レイクタウン防災フェス2022」では、越谷市消防局の協力で4日に行われた「AED体験企画~もしもの時に役に立つ~蝶野正洋のイオンDE防災・救命119」に出演した。

 蝶野がAEDに携わった背景には、プロレス界においてライバル団体のエースにして1歳上の盟友だった三沢光晴さんのリング禍があった。2009年6月13日、三沢さんが社長兼レスラーを務めていたプロレス団体「ノア」の広島大会。技を受けて動かなくなった三沢さんが横たわるリングにAEDが持ち込まれ、必死の応急処置後に病院搬送されたが、帰らぬ人となった悲劇が蝶野の背中を押した。三沢さん死去の翌年、蝶野は消防庁で救急救命の講習を受け、現在まで啓発活動を続けている。

 天候にも恵まれたその日、子ども連れの家族が多く詰めかけた会場では、柔和な笑顔で深刻になりがちなテーマを中和した。蝶野は冒頭、「きょうは正しいビンタのたたき方ですか?最近、プロレスラーより『ビンタのおじさん』になっちゃってるんですよ」と会場を笑わせ、「越谷は私がプロレスラーとしてデビューした街なんです」と、ご当地ネタも披露。1984年10月、新日本プロレスの越谷市民体育館大会で武藤敬司と対戦した初陣を振り返った。

 プロレスを知らない子どもたち、詳しくはない女性も多く詰めかけた聴衆に向け、蝶野はプロレスラーが常にリングで事故と背中合わせであることを説明した。

 蝶野は「練習中や試合中の事故でいえば、政治家になった馳先生(石川県知事の馳浩氏)も、福岡の方の巡業先で心肺が停止したという現場がありました」と、90年に馳氏が新日本マットでパックドロップを受けて心肺停止状態となり、救急搬送されたことに触れ、「プロレスラーも救急救命の勉強をしているんですけど、そのスタンダードは日々変わります。プロレスラーの事故が多く、死亡例もあったことから、私も啓発を10年以上やってきました」と自己紹介した。

 ステージでは消防署員が胸骨圧迫(心臓マッサージ)やAEDの使い方を説明。蝶野はアドバイザー的な立場から「自分もAED大使というものをやらせていただいているんですけど、(心停止は)年齢にかかわらず、若い人であろうが、年配の人であろうが、その人のコンディションによっていつどこで起こるか分からない」と、人ごとではない現実を強調。その上で、救急救命にとって「大切なこと」として「声がけ」を挙げた。

 「声をかけることは一番勇気のある行動なんですよね。具合の悪そうな人がいるな…と思ったら、一言、『大丈夫ですか』という簡単な言葉がなかなかかけづらい。まして、倒れている人に声をかけるとなると勇気がいる。でも、最初にやらなければいけないのは『大丈夫ですか?』という意志確認です。実は相手が昼寝をしているだけで、『うるせえな』って文句を言われるかもしれないけど、声かけはすべき」と強調した。

 さらに、災害時の救命でも蝶野は持論を語った。

 「一番の基本は『自助』、自分の身は自分で守るということです。地域や家族構成、マンションであれば階によって、何が必要かは人それぞれ違います。自分の身をどう自分で守るか。地震があったら何を考えるかという自助があって初めて、困った人を助けるという『共助』の行動ができますから。自分の体調が悪かったり、避難する側になったら共助はできません。本当の共助は、困った人、特に高齢の方であったり、障がいを持っている方、小さなお子さん、そういう人たちを助けるために、自分の身は自分でしっかり守ると言うことを学んでいただければと思います」

 そう締めくくった蝶野。最後に「では、ビンタはまた時間がある時に…」とウイットに富んだ笑みを浮かべた。

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