ロシアの生物化学兵器使用は許されない 意識あるのに呼吸できない 地下鉄サリン知る医師が語る「地獄絵図」

谷光 利昭 谷光 利昭
写真はイメージです(liukovmaksym/stock.adobe.com)
写真はイメージです(liukovmaksym/stock.adobe.com)

 ウクライナに軍事侵攻しているロシアが、東部戦線などで生物兵器や化学兵器の使用に踏み切るとの懸念が強まっている。多くの人を無慈悲に殺傷してしまう大量破壊兵器。1995年3月20日に都内で発生した地下鉄サリン事件で、被害を受けた人たちを実際に診察した「たにみつ内科」(兵庫県伊丹市)の谷光利昭院長が緊急寄稿した。

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 生物化学兵器という言葉を聞くと、私の人生で経験した最も残酷と思われる最悪のテロ、地下鉄サリン事件を思い出します。

 患者さんの約半数が、当時私が勤務していた三井記念病院(東京都千代田区)に運ばれてきました。午前9時前でしたが、外来はストップし、予定されていた手術はすべて中止となりました。小児科を中心に患者さんの協力を得て、同意のもとに多くの患者さんが急きょ退院となりました。

 病院の1階のフロアは、何かわからないものに苦しむ人で埋まっていました。うずくまる人、嘔吐する人、毛布にくるまり震えている人、意識がない人…症状は様々でした。地獄絵図というものが現代にあるとしたら、ああいうシーンと言えるでしょう。私は当時、外科医でしたので、夕方まで休むことなく初期治療にあたっていました。治療に携わる医療側も微量ながらもサリンを吸い込んだためか、私の両目は真っ赤に充血し、体調がおかしくなった人もいました。

 戦争はもっと悲惨です。同じ地球上で多くの罪なき人たちが戦争の犠牲者になっている悲報が流れると胸が痛みます。今回の戦争において、生物化学兵器の使用が取り沙汰されています。

 化学兵器で有名なサリン、VXガスは、神経伝達物質であるアセチルコリンを分解するコリンエステラーゼの活性を消失させます。同様の作用をする薬物があり、それをコリンエステラーゼ阻害薬と言います。薬というくらいですから、それらの薬は、実は臨床の場においてたくさん使用されます。対象となる有名な疾患として、機能性胃腸症、重症筋無力症、認知症などがあげられます。これらの薬はある程度すると効果がなくなるので薬として使用できますが、サリンやVXガスは、一度コリンエステラーゼを阻害すると阻害されたコリンエステラーゼがもとに戻りません。

 そのために、アセチルコリンが体内で過剰状態となります。その状態が、生命活動で一番大切な呼吸を止めてしまうのです。その他にも縮瞳、便失禁、血圧低下など様々な症状がありますが、意識があるのに呼吸ができなくなることが非常に恐ろしい症状なのです。普通は、脳死状態になると瞳孔が開くのですが、脳死状態になっても縮瞳のまま状態が持続するようなのです。

 本来、人類を幸せにするための「薬」が間違った方向で使用され、命まで奪ってしまうことは非常に耐えがたく、医師としてというより、人として許すことができません。「地下鉄サリン」のような犠牲は、絶対に起こることがないよう願ってやみません。

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