後白河法皇の娘・悲劇の笹子姫にまつわる不思議な話 今、東京のベッドタウンにひっそりと眠るのは誰

今野 良彦 今野 良彦
写真はイメージです(prikatz/stock.adobe.com)
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 源平合戦の陰の演出者・後白河法皇の娘、悲劇のヒロイン笹子姫にまつわる謎を紹介する。東京のベッドタウンの片隅にひっそりと祀(まつら)られているのは誰なのか…。

 現在、NHKで放送されている「鎌倉殿の13人」では、西田敏行演じる後白河院が重要な役割を果たしている。生き霊として源頼朝の夢枕に何度も立ち、打倒平家の背中を押したシーンも放送された。

 後白河法皇が打倒平家に動いたのは、何度かある。その代表的なものが「鹿ヶ谷の陰謀」である。平清盛によるでっち上げ説もあるが、伝わっているのは以下の通りである。1177年(治承元)年5月、当時上皇だった後白河院の近臣藤原成親、成経父子、藤原師光(西光)、法勝寺執行の俊寛らが、俊寛の京都・東山鹿ヶ谷山荘に集まり、祇園御霊会に乗じて平清盛の住む六波羅屋敷を攻撃し、一挙に平氏滅亡を図ろうした事件で、『平家物語』にも描かれている。

 だが、ある出席者の密告により事前発覚し、関係者は次々に処罰された。西光は死罪、成親は備中(岡山県)に、俊寛、成経らは九州の孤島鬼界ヶ島に配流された。後白河院も幽閉されてしまった。このとき、身の危険を感じた皇女の笹子姫が、従者と共に武蔵国都筑郡古沢庄に落ち延びたとされる伝承がある。

 このとき、笹子姫は、父・後白河院から一体の阿弥陀如来像を授かってきたという。その阿弥陀如来像を安置したのが川崎市麻生区にある法運寺で、寺伝でもこの話は伝わっているという。法運寺は、東京のベッドタウンである小田急線百合ヶ丘駅から曲がりくねった山道を登った先にある曹洞禅宗の古刹(こさつ)で、阿弥陀如来像は市の重要歴史文化財にも指定されている。

 当初はその不吉とされる裏鬼門(南西の方向)に、笹子姫の墓所と伝わる「笹子稲荷」と呼ばれる祠(ほこら)があった。ご神体はキツネに乗る笹子姫だったという。ところが、この地区は年々開発が進み、今は小田急線新百合ヶ丘駅近くのビルの右脇に移設されている。今回、この笹子稲荷を探すため、新百合ヶ丘駅から徒歩で向かったが、危うく見逃しそうになったほどの狭いスペースだった。皇女の墓所としてはあまりにも、もの悲しさを感じるさせる場所だった。

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