ウクライナ侵攻で想起 アニメ「風が吹くとき」が警鐘する核戦争の恐怖

沼田 浩一 沼田 浩一

 ロシアがウクライナへ軍事侵攻を行ったことで世界中に不安が広がっている。プーチン大統領が国防相に「抑止力を特別警戒態勢に引き上げる」と命じたという報道では、直接的ではないものの、核の存在をチラつかせている。まさか、本当に核兵器を使用することはないと思いたいが、ウクライナへの侵攻が「まさか」の出来事だったため、今後どのような展開が待っているのか予想ができない。そんなニュースを見て、筆者は1本のアニメーションを思い出した。それは「風が吹くとき」(1986年/監督:ジミー・T・ムラカミ)である。

 原作はレイモンド・ブリッグズが1982年に発表した漫画だ。田舎でのんびり暮らす老夫婦を主人公としたのどかな雰囲気の作品なのだが、これほどまでに戦争や核兵器の恐ろしさを描いた作品をほかに知らない。核兵器による破壊の描写はほんのちょっとで、激しい戦闘シーンや軍隊の進軍、作戦会議などの戦争を思わせる映像は皆無で、老夫婦による日常描写で物語は進む。この淡々とした進行がジワジワと恐怖を感じさせるのである。

  冒頭は軍隊や兵隊、軍事トラックの走行などの実写映像から始まる。それは主人公ジムの見る新聞の内容を示すもので、世界は東西が分断し、緊張が高まっていることを表現している。ジムは妻のヒルダにシェルターの必要性を説く。ヒルダは政治や世界情勢に無関心で家事に手いっぱいだ。ジムは政府が発行した「生き残る方法」というパンフレットに従って、シェルターの準備を始める。しかし、そのシェルターというのが実にお粗末なもので、自宅の壁にドアを3枚立て掛けただけのものだ。しかし、ジムは政府の発言に絶対の信頼を寄せており、まったく疑問は持たない。妻のヒルダはやれやれといった感じで夫のシェルター作りに付き合う。核兵器が使用されるかも、という緊張感のある設定の中で、こういった夫婦のやりとりは微笑ましく、時には笑いを誘うような演出で描かれている。

  ところが、それは突然やってくる。ラジオが「わが国に向けて敵のミサイルが発射されました。3分後にこちらへ到着予定です」と告げる。ここからのどかな作品の雰囲気は一変。一瞬だけ画面が光り、周囲の町や景色が無残に破壊される描写が続く。空は黒く染まり、地獄のような世界へ変化を遂げ、老夫婦の家もメチャクチャになった。ところが、シェルターのおかげで老夫婦は無傷で済む。これも政府発行のパンフレットのおかげであり、すぐに救助隊が来るだろうと老夫婦は至ってのんきである。水や電気が来ない、電話も通じない、新聞も牛乳も配達がないことを「変だな…」の一言で済ましている。見ているわれわれからすると「そりゃそうだろう」と思うのだが、老夫婦にはまだどれだけのことが起こっているのか把握ができていないらしい。やがて、日常生活を取り戻そうとする二人の体に変化が現れ…。

  老夫婦がずっと落ち着いていられるのは「最後は国が守ってくれる」と信じているからである。この台詞は何度も繰り返される。繰り返されるたびに空虚に響く。理由はともあれ、その国が戦争を始めたのだ。こうなると「風が吹くとき」はブラックユーモアに感じられる。そしてプーチン同様、本作においても核を「抑止力」と表現していた。大量破壊兵器を用いた脅しの材料を「抑止力」と呼んで正当化するのはこれもブラックユーモアと言えなくもない。しかし、それはユーモアでは済まない結果になることをわれわれは知っている。はたして老夫婦はその後、どうなってしまうのか。こういう情勢だからこそ「風が吹くとき」をもう一度見直してもらいたい。

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