映画界にはさまざまな「都市伝説」がある。60年間に渡って、膨大な量の映画ポスターや新聞広告を手掛けた「映画広告図案士」のレジェンド・檜垣紀六さんから、伝説化している秘話や現場のエピソードを都内の自宅でうかがった。
檜垣さんは1960年代から90年代の洋画約600本のポスターなどを収録した著書「映画広告図案士 檜垣紀六 洋画デザインの軌跡 ~題字・ポスター・チラシ・新聞広告 集成~」(スティングレイ発行、税抜9000円)を今年出版。その中から、まずはブルース・リー主演の「燃えよドラゴン」(73年公開)について、英題「エンター・ザ・ドラゴン」がなぜ、この邦題になったかを同氏に聞いた。
「実は日本での公開タイトルは最初『ドラゴンの星』だった。日本のアニメ『巨人の星』からのアイデアで、そういう題名に決まってたの。そうしたら、配給したワーナーの宣伝部長だった佐藤正二さんに呼ばれて『俺、巨人ファンだから、ドラゴンは嫌だ』って(笑)。大の巨人ファンだった佐藤さんにとって、『中日ドラゴンズの星』みたいになるから抵抗あったんだろうね。それで、どうしようかということになって、銀座の書店をのぞいたら、司馬遼太郎さんの『燃えよ剣』って本のタイトルが目に入って、『これでどうだ』って。さっそく出版社に電話して『燃えよ』だけ使わせてくれって頼んで、『燃えよドラゴン』になった」
もう1点、同作のポスターには「不思議」がある。題字の書体だ。「燃えよ」は手書きの筆文字で、「ドラゴン」は線を引いたゴシック体なのだが、最初から意図したものではなく、やむにやまれぬ事情によるものだった。
「邦題が決まって、家に帰ってから『燃えよ』までは筆で書いたんだけど、そこで39度の高熱が出てしまって、そこから先の『ドラゴン』は手で書けなくなった。一度は寝たが、どうしても翌日作る予告編にタイトルのロゴを入れなきゃいけないから、夜中の11時頃にエイヤッと起き上がって、『ドラゴン』は定規と鉛筆で書いた。元気だったら、タイトル全部、筆で書いていたんだけどね」
ケガ(高熱)の功名だった。「燃えよ」の筆文字には「情念」が、「ドラゴン」のクールなゴシック体には「切れ味」があると評され、その組み合わせが同居する独特の題字として現在まで定着している。
話は変わる。映画のポスターで俳優の顔サイズや目の位置にも「序列」や「力関係」のバランスという配慮がある。
「邦画の場合、俳優の格や映画会社への貢献度で顔のサイズは決まる。大映だったら、長谷川一夫が10センチで、いくら売れていても勝新太郎は8センチとか。米国は弁護士が付いて、俳優のエージェントと制作会社の間の契約で決まる。例えば『タワーリング・インフェルノ』(75年)だと、ポール・ニューマンとスティーブ・マックイーンの顔がポスターに載る俳優の中で最大の100%で並ぶんだけど、分厚い契約書を見ると『ニューマンの目の平行線の所にマックイーンの眉を置く』となっている。ニューマンの方が映画界の格は上位なので、眉からアゴまでは同サイズでも、ニューマンの目の高さの延長線上にマックイーンの眉がある。つまり、ニューマンの方が少し高い位置になるようにしなければいけない。契約があるから勝手に動かしたらいけない」
また、洋画のタイトルロゴで原題と邦題の字体を同じにせよという指令もあった。「時計じかけのオレンジ」(72年)だ。オリジナルの英題は「CLOCKWORK ORANGE」なので、「時」の日へんを「C」のように丸く書き、2行目の頭にくる「オ」の払い部分をキツネの尻尾のように丸めた。スタンリー・キューブリック監督のお墨付きを得て、以降も同監督作品を手掛けた。
色にもこだわった。「サスペリア」(77年)では「敬遠される寒色の緑色をメインに使って怖さを出した。赤と黄も使ってイタリア映画なのに中華の色だよ(笑)」。さらに「ブレードランナー」(82年)では背景を金色にした。
「当初、リドリー・スコット監督はシリーズ化すると言ってたので、『スター・ウォーズ』が宇宙のブルーだから、こちらはゴールドにした。当初は当たらなかったんだよ。3週くらいで打ち切り。それから数年後にヒット。海外では俺のゴールドのポスターが使われたけど、デザイン料は入らなかった」。檜垣版「ブレードランナー」のポスターデザインはフランス、ドイツなど世界各国で使われた。
映画のポスターや新聞広告に作者の署名はない。黒子に徹した60年間が、集大成的な初の著書によってクローズアップされている。ご自宅でうかがった映画の話は、筋金入りの虎党として、今年こそ優勝の期待が高まる阪神タイガースの話題と共に、尽きなかった。