昭和の伝説ドラマ「お荷物小荷物」 主演女優やファンが証言 前衛的な社会派作品が子どもを直撃

北村 泰介 北村 泰介
著書「芸能人の帽子」を手にする中山千夏。約半世紀前の伝説ドラマについて語った=静岡県伊東市
著書「芸能人の帽子」を手にする中山千夏。約半世紀前の伝説ドラマについて語った=静岡県伊東市

 年度末になると、ドラマも改編期を迎える。テレビの普及から60数年、「伝説のドラマ」と称される作品は数々あるが、原版のビデオテープが消去されるなどして「幻」となった作品も少なくない。その中で1970年代初頭に放送された番組について、主演女優や当時の視聴者だった女性芸人に話を聞いた。(文中敬称略)

 今回、紹介する作品は「お荷物小荷物」(朝日放送製作、70-71年放送)と、その続編「お荷物小荷物 カムイ編」(同、71-72年放送)。俳優が突然、素の自分に戻って話し始めたり、セットやスタッフが画面に映し出されたり…といった実験性に富んだ手法から「脱ドラマ」と称された。また、沖縄問題やアイヌ民族といったテーマも盛り込まれた社会派の要素もあった。

 いずれも主演は中山千夏(74)。人気子役から女優となり、歌手、司会者などマルチに活躍した時代の寵児で、番組開始当時は22歳だった。中山は著書「芸能人の帽子」(2014年刊、講談社)で「脱ドラマは他にもあったが、このドラマが成功したのは『観念性』に徹した作者(脚本家・佐々木守)による『観念的前衛劇』にあった」と指摘している。

 ドラマは、名優・志村喬が演じる家長を筆頭に、その息子(桑山正一)、孫の5兄弟(河原崎長一郎、浜田光夫、林隆三、渡辺篤史、佐々木剛)による家父長制で男尊女卑の運送店一家が舞台。米国統治下の沖縄から上京した「田の中菊」(中山)が、孫息子(河原崎)との子どもをもうけながら捨てられて死んだ姉の敵討ちのためにお手伝いとして住み込み、男たちと戦う姿をコミカルに描く。カムイ編ではアイヌ民族の女性として中山が男たちの家に潜り込む。

 「お荷物小荷物」は全18回で、毎週土曜夜10時から放送。唯一、映像が保管されていた最終回が17年に早稲田大学・演劇博物館で開催された展示「テレビの見る夢-大テレビドラマ博覧会」で上映された。リアルタイムで視聴できなかった記者はリピート上映された映像を現地で確認。その内容をまとめると次のようになる。

 別れを告げる菊(中山)にほれている5兄弟が「この中で誰が好きか」と詰め寄り、菊が「このドラマは18回で終わりなのに…」と困惑すると、最終回が延長戦の〝第19回〟に変更。日本に徴兵制が施行され、軍服姿の兄弟全員が戦地で銃弾に倒れる場面が描かれ、菊が墓前に手を合わせる場面で終わり…かと思いきや、改めて〝本当の最終回〟として私服姿の出演者がスタジオに集結して視聴者へのメッセージと共に手を振って大団円。この回はシリーズ最高の36・2%の高視聴率をマークしたという。

 中山は記者が持参した撮影風景の写真を手に「これを見ると悲しいのよ。(共演者が)どんどん、いなくなって。河原崎さんは若くして亡くなられ、林さんも…」と思いに浸った。収録が朝日放送だったため、東京が拠点のキャストは大阪のホテルに長期滞在して交流を深めた思い出がある。番組終了後も「お荷物同窓会」と称した飲み会が、林の追悼も兼ねて行われた14年まで続いたという。

 その中山をリスペクトし、イベントで共演している一回り年下の芸人オオタスセリ(62)は「子どもの時に『お荷物小荷物』をテレビにしがみついて見ていました」と明かす。

 「千夏さんがいつも男の人たちに立ち向かっていて、それが小学生ながらに面白かった。今になって調べると、ずいぶん社会派のドラマだったのですね。私が通っていた小学校は都内でもリベラルな土地柄で、先生たちの影響もあって壁新聞に沖縄問題について論説を書いたり、地元にある被差別部落の人たちがお祭りに参加できない事を校長先生の話から知り、取材に行こうとして母にキツく止められた小学生でした。そんなこともあってスピリッツが共鳴したのかもしれませんが、とにかく、いつも千夏さんが頑張っていたドラマという記憶です」

 オオタの証言通り、理屈抜きに「子どもの感性に直接働きかけた」(中山)という作風もヒットの要因だったのだろう。中山は「スタッフ内に『3歳児から新左翼まで楽しめる番組』というジョークが流行るほど、視聴者層は幅広かった」と著書「芸能人の帽子」に記している。

 中山はカムイ編を最後に女優引退。後に参議院議員となり、アニメ「じゃりン子チエ」などで声優としても活躍したが、現在は静岡県伊東市で執筆活動を続けながら悠々自適の日々を過ごす。

 「納戸を整理していたら、ジュリーと一緒に写った写真が出てきたの。そう、沢田研二さん。私は歌謡番組(「TBS歌のグランプリ」、69年-71年)の司会もやっていたので、その時の写真だと思うけど、あの頃は忙しくて誰と写真を撮ったとか覚えてなかったから、びっくりよ。彼は私と同い年の団塊世代。お互いに若い頃があったのよね」

 時期的には「お荷物小荷物」と重なる頃のエピソード。昭和テレビ時代の話は尽きなかった。

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