ロシアのウクライナ侵攻による戦禍の惨状を伝えるドキュメンタリー「マリウポリ 7日間の記録」が4月15日からシアター・イメージフォーラムほか全国で順次上映されることが31日、配給元から発表された。同作は2022年にカンヌ国際映画祭でドキュメンタリー審査員特別賞、ヨーロッパ映画賞でドキュメンタリー賞を受賞。45歳だったマンタス・クヴェダラヴィチウス監督は撮影中に殺害され、婚約者だった助監督らによって作品が完成した。
2022年2月24日に始まったロシアのウクライナ侵攻。1991年のウクライナ独立、2013年から14年のマイダン革命に端を発し、ウクライナの東部に位置するドンバス地方は親ロシア分離派とウクライナ系住民との紛争が絶え間なく続いている。
そのウクライナ東部ドンバス地方のマリウポリは、ロシア軍に侵攻、包囲され、砲撃によって街は廃墟と化した。夕暮れ時、建物の割れた窓から見える地平線には炎と噴煙が立ち昇り、連射される曳光弾の光跡とともに雷鳴のような砲撃音がとどろく。
そんな地に、リトアニア出身で、人類学者からドキュメンタリー監督に転身したマンタス・クヴェダラヴィチウス監督が足を踏み入れた。
クヴェダラヴィチウス監督は、16年にマウリポリを訪れ、同地の人々の日々の営みを記録した「Mariupolis」(日本未公開)を発表し、高い評価を得ていた。その続編ともいうべき今作。侵攻間もない3月に現地入りし、破壊を免れた教会に避難している数十人の市民らと生活をともにしながら撮影を開始。カメラに収められたのは、死と隣り合わせの悲惨な状況下でも、普通におしゃべりを交わし、助け合い、祈り、料理をし、タバコを吹かし、また次の朝を待つ住民たちの姿だった。
しかし、取材開始から数日後の3月30日、クヴェダラヴィチウス監督は同地の親ロシア分離派に拘束され、殺害された。助監督だった監督のフィアンセによって撮影済み素材は確保され、遺体とともに帰国。その遺志を継ぎ、製作チームが完成させた作品は、直ちに5月の第75回カンヌ国際映画祭で特別上映され、ドキュメンタリー審査員特別賞を受賞。2022年末にはヨーロッパ映画賞・ドキュメンタリー賞を受賞した。
「マリウポリ 7日間の記録」は、私情も感傷も交えず記録に徹し、戦禍の惨状で生きる人々の日常と、廃墟に流れていた時間をリアルに追体験させる。ここには激しい戦闘の様子や刺激的な映像は一切ない。ただ戦争という理不尽な悲劇に見舞われた人々の営みがありのままに映し出されているだけだ。ニュース報道からは伝わってこない、真のマリウポリの現状がこの作品に記録されている。
クヴェダラヴィチウス監督は生前「マリウポリについて、何が最も驚くべきことかわかりますか?死がそこにある時でさえ、住民は誰一人として死を恐れていませんでした。死はすでに存在し、誰も無駄な死を望んだことはなかった。人々は命がけでお互いを支え合っていました。爆撃があるにもかかわらず、外でタバコを吹かし、おしゃべりをしていました。お金は残っていないし、人生はあまりにも短く感じられ、人々は今あるものに満足し、自分の限界に挑戦していました。過去も未来も、判断も暗示も、もはや何もありませんでした。それは地獄の中の天国であり、蝶の繊細な羽がどんどん近づいてきて、生の次元で死の臭いがしていました。それは生命の鼓動でした」と話している。
クヴェダラヴィチウス監督のフィアンセだった助監督のハンナ・ビロブロワは、撮影日誌で次のように述懐している。これは22年5月24日、リトアニアのニュースポータルサイト「15min.」に掲載されたインタビュー記事を基に、配給元によって構成された。
◆2022年3月初旬
リトアニア在住のマンタス・クヴェダラヴィチウス監督は、ロシア軍のマリウポリ侵攻のニュースを追い続けていた。「マリウポリで撮影をしなければならない」――彼は助監督のハンナ・ビロブロワと共に同月13日にリトアニアからポーランドへ入り、ウクライナを目指して車を走らせた。その間、彼はマリウポリで再会する人々のために、自費で食料を調達。そして国境を越え、ウクライナへ入った。