監督は撮影中に殺害 ウクライナ侵攻のドキュメンタリー「マリウポリ 7日間の記録」4・15公開

よろず~ニュース編集部 よろず~ニュース編集部
映画「マリウポリ 7日間の記録」のワンシーン (C) 2022 EXTIMACY FILMS, STUDIO ULJANA KIM, EASY RIDERS FILMS, TWENTY TWENTY VISION
映画「マリウポリ 7日間の記録」のワンシーン (C) 2022 EXTIMACY FILMS, STUDIO ULJANA KIM, EASY RIDERS FILMS, TWENTY TWENTY VISION

 ◆3月18日

ウクライナ、ドニプロペトロシク州の都市ドニプロで数日を過ごし、ジャポリージャ州に到着。80台ほどの民間の車列の中、マリウポリへ向け出発するも、途中クラスター爆弾によって道路は炎上、進路変更を余儀なくされた。ジャポリージャ州ヴァシリウカ経由でドネツク人民共和国に入ると検問で一晩中監視されることとなったが、明朝には解放された。

 ◆3月19日

マリウポリに入ると沢山の人が徒歩で街を出ていくのが見えた。手押し車で運ばれている歩行困難な高齢者、粉々になった窓をビニールで覆っている車。丘の上からは、黒い煙の壁が見えた。マンタスにとって最も重要だったのは、マリウポリの劇場に行くことだったが、ドニプロに滞在中、劇場が爆破され完全に破壊されたと知り、たいへんなショックを受けていた。加えて市内では砲撃や戦闘の激化で劇場の確認に行くこともできず、アゾフスタリ製鉄所近くの教会に泊まることに。そこは防空壕としても使われていて、避難した人々が生活していた。マンタスは食料、水、ガソリン、医療品をここに運び込んで撮影を開始する。

 ◆3月20日

マンタスは教会の庭に行き撮影していいか責任者に許可をもらい、彼らの日常生活の撮影を開始した。責任者は、ここで起きていることを世界に見てもらえることを幸いだと感じているようだった。

教会の目の前の家の屋根には爆風で吹き飛ばされた遺体が突き刺さっていた。裏庭には埋葬できないままの遺体も。この悲惨な状況をマンタスはカメラに収めようとしなかった。「死体を撮りに来たんじゃない。これは関係ない。僕は人々の生き方に興味がある。以前立ち寄った劇場には生活がない。人々はそこにいるが生活がない。でもここでは今、人々は生きていて笑っている」。

マンタスは、ここで共に生活している人々に感銘を受けていた。彼らはいつも何かしら仕事を見つけていた。午前5時に起きて壊れたドアを修理する者がいる。しかしドアはまた直ぐに壊れるので、それは無意味な仕事なのだ。それでも彼らは自ら忙しくしていようと動いていた。マンタスにとって最も興味深いのは人々の生き方だった。戦争犯罪を撮影するためにそこにいるのではなく、戦禍の人々の非日常の中での日常生活を撮影していた。

 ◆3月24日

教会の入口に5つの地雷が仕掛けられていることを知った。ロシア兵がやって来て避難者たちの身体検査を始めた。マンタスたちはボランティアだと言い、曖昧な返事をして何とかその場をやり過ごした。

 ◆3月25日~27日

ロシア軍の戦車の列によって、もはやこの地がロシアの支配下にあることを確信する。一刻も早くここを離れようとしていた矢先、教会に砲弾が着弾し爆発した。ようやく教会から脱出し、少し静かな居場所を確保した。顔見知りのドライバーの男性と街を出る手筈を相談していると、彼から、目立たない小さな車で避難者の移動を手伝って欲しいと頼まれた。マンタスは、撮影に同行していたハンナに「行ってくる」と言い残し、避難者の救助のため男性と車で出かけて行った。

 ◆3月28日

翌朝、ドライバーの男性が数人に囲まれ門の前に立っていたが、そこにマンタスの姿はなかった。マンタスは軍事施設だった建物の写真をカメラに収めたかったようだ。ドライバーの男性が言うには、二人は建物近くで拘束され、ロシア側は書類を調べた。マンタスはリトアニアのパスポートを持っていたので服を脱がされ、タトゥーや痣をチェックされた。マンタスはロシア軍と戦うためにきたNATOの兵士で、リトアニアの狙撃兵だと非難され、建物へ押し込まれたという。

翌朝、男性は解放されたが、マンタスはロシア側の司令官がこの問題を解決するまで拘束すると聞かされたという。その時ハンナは、男性の話を頼りにマンタスが拘束されているらしい建物へ彼の無事を祈り、ひとり走り出した。軍隊を見つけてはリトアニア人を知らないか?と尋ねて回った。気付くと近くで銃声が聞こえる前線の真っただ中にいたという。日が暮れ、戒厳令の前には身を隠す場所を見つけたものの、眠れない不安な一夜を過ごした。

 ◆3月29日

ハンナはマンタスの痕跡を追い、彼が何者で何故彼を探しているのか、着ていた服などのメモとプリントした写真を配り、尋ね歩いた。兵士がやって来て「本部に司令官がいるので話してみよう」と言ってくれた。ハンナは、彼の情報を得るため何度も本部に足を運んだ。

 ◆3月30日

本部の車がやってきて車から降りた兵士は、瞬きもせずハンナにマンタスの死亡を告げた。彼女は直ぐにはその言葉を理解できず、どういう事なのか尋ねたが、「青いジャケットの民間人が路上に倒れ死亡しているのが目撃された。彼が捕虜から解放されたのか、何故そこを歩いていたのかは分からない」というだけだった。兵士は、遺体の確認は明日と言い残し帰っていった。

 ◆3月31日

戦闘が更に激化し、遺体確認のため司令官に会うことができず一日が過ぎた。

 ◆4月1日

ハンナはまだマンタスが生きているという望みを抱いていた。そこへ軍の車が到着し、彼女は遺体確認のため、車に乗り込んだ。前の席から青いジャケットを着た男が倒れているのが見えた。ハンナは、射殺され路上に放置されたマンタスの遺体を発見した。

 【ハンナ・ビロブロワの証言】

私は、彼が見つからなかったらどうしようと恐れていました。そして彼を見つけるまでそこを離れませんでした。生きていようが死んでいようが、私たち二人は最後まで一緒だと分かっていました。彼は戦争で殺されたのではありません。“人間”に殺されたのです。そして、私は彼の作品を完成させ、マリウポリの人々がどのように暮らしているかを世界に伝えたいのです。そのすべてはカメラに収められています。私たちは、戦時下で人々がどのように生活しているかを見るために現地へ行ったのです。

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