阪神・淡路大震災から28年、支援活動続ける俳優・堀内正美の覚悟 原点は三里塚闘争で浴びた老人の一言

北村 泰介 北村 泰介
阪神・淡路大震災直後から被災者に寄り添った支援活動を続けている俳優の堀内正美
阪神・淡路大震災直後から被災者に寄り添った支援活動を続けている俳優の堀内正美

 1月17日で阪神・淡路大震災から28年になる。震災直後にボランティア団体「がんばろう!!神戸」を立ち上げ、自身も神戸市民として被災者に寄り添った支援活動を続けている俳優の堀内正美(72)が、よろず~ニュースの取材に対し、その活動の原点となる、20歳の頃に衝撃を受けた原体験を明かした。(文中敬称略)

 神戸市役所の南側に位置する東遊園地には「慰霊と復興のモニュメント」がある。震災の犠牲者、その後亡くなった被災者、復興に携わった人たちの名前が刻まれ、追悼の「希望の灯り」が燃え続けている。NPO法人「阪神淡路大震災1.17希望の灯り」(通称:HANDS)が2000年に設置、管理するモニュメントに記された英文メッセージの最後には「Masami Horiuchi」。同法人の設立者でもある堀内だ。

 「東遊園地はある意味『ホーム・カミング』的な場になっている。年に1回、みんなが訪れて近況を語り合う場であり、初めて来る若者たちに伝える場になっている。年に1回の年中行事。被災者にとっては1月16日が大みそかで、1月17日を迎えて初めて新年が来るのです。震災体験をした人たちが肩の荷を降ろし、新しい1年になるという節目なので、そういう意味では歳時記の一日になることも必要なんじゃないかと」

 東京・世田谷区の出身。父は東宝で黒澤明監督の助監督を務め、新藤兼人の近代映画協会を経て社会教育映画の監督として活躍した堀内甲(まさる)。自宅近くの砧(きぬた)にある東宝撮影所が子どもの頃からの遊び場だった。

 「撮影所のプールで扇風機を回して撮る海戦シーンや、普通のお姉さんが照明やヘアメイクで別人のようにきれいになる姿をまじかに見てきた子どもで、どこか冷めた目があった。父からも『スタッフが全てを整えて、俳優はその上に乗っかって初めて輝くのだから、スタッフを大事にしろ』と言われてきたので、そういう環境で育っても『芸能人になる』とは考えられなかった。小学3年の時に土門拳さんの『筑豊のこどもたち』という写真集を見た時から『社会にはなんで貧富があるのか』という思いから始まって、『社会を変えたい』と60年代に学生運動に入ったのです」

 20歳の頃、成田空港建設に反対する千葉県での三里塚闘争に参加。その地で出会った農業従事者から投げかけられた一言が人生を変えた。

 「三里塚闘争の第二次行政代執行のあった71年、反対派の農民のおじいさんに言われたんです。『あんた、帰るところあるんだろ。ワシら、帰るところないから』と。その言葉で僕は運動から離れた。それまで、いっぱしの革命家気取りだった僕は、セクト間の論争でも絶対に論破されない自信があったんだけども、そのじいちゃんのたった一言に打ち砕かれた」

 さらに、老人はこう続けたという。「ワシらは雑木林の何もない場所に入植して、木を切り、焼き畑を耕して、やっとできたのが、このピーナッツ畑。国が(空港建設で立ち退けば)金をくれると言ってるけど、金が欲しくてやってるんじゃない。この土がワシの命なんだ。だから、この土に還(かえ)りたいんだ」

 堀内は「そう言われた時に、僕はガタガタと心が崩れて、逃げ帰りました。そして、蜷川幸雄さんの芝居に逃げた。もう実社会では生きられないと思ったから、芝居という嘘(フィクション)の世界に逃げ帰った部分があった。あの時、逃げていなかったら、僕は今、生きていなかったと思います」と振り返る。

 演出家志望だった堀内は蜷川に師事し、その後、周囲に求められて73年に俳優としてデビュー。翌年のNHK連続テレビ小説「鳩子の海」で全国的な知名度を獲得し、現在まで数多くの作品に出演している。84年に東京から神戸に移住。その11年後に被災した。

 「それまでの災害では集団や組織が支援活動をしていたが、阪神・淡路大震災では『個』が誰に指示されたわけでもなく駆けつけてきた。震災翌日の1月18日以降、全国からボランティアの人たちが来てくださったんですけど、3月になると学生さんたちは帰って行く。その時、あのおじいちゃんの言葉がよみがえったんです。僕には帰るところはない。ここに住み続ける。この街に骨を埋めるんだという気持ちになれた。三里塚での『あんたは帰るところがあるだろ。ワシにはここしかない』という言葉が、震災時の神戸でリンクした。これも運命かと」

 あの日から30年近い時が流れ、街の景色も人も大きく変わった。去った人、来た人、地元民でも震災後に生まれ育った人…。だが、年に一度の「1・17」になると、堀内らが尽力して「震災の記憶」として神戸に刻んだモニュメントは、磁場となって人を引き寄せる。東遊園地で行われる17日の追悼行事で、紙灯籠を並べて描く今年の文字は「むすぶ」になることが13日、発表された。

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