インバウンドで盛況の観光地で注目されている「人力車」。日本初の〝車夫DJ〟として話題になった関森ありささん(28)は、所属する人力車運営会社の東京・浅草エリアを統括する「店長」に今年から就任した。車夫とFM局勤務というダブルワークを2019年から続けて7年目。採用面接や研修を担当する管理職という立場も加わった〝三刀流〟の関森さんに話を聞いた。
身長157センチ。大柄ではなく、スポーツ経験もないが、乗客の重量は「250キロまで大丈夫です」。90キロの車両を含む計300キロ以上になっても、「テコの原理」を活用して軽快に風を切る。「筋肉で動かしていないので、筋肉痛は全然ないです」。雨の日はカッパを着て、真夏の炎天下では傘をかぶって走る。雪の日も「思い出になる」という利用客が多いので休まない。外国人観光客には英語で接している。
料金は「2名10分4千円」から時間によって加算。電話やネットの予約以外では、雷門の前で声を掛ける。「走るのは2割、声掛けが8割。最初は苦戦しました。『女の子が本当に引けるの?』と」。勤務は朝10時から夜7時くらいまで。乗客は1日4-5組ほど、走行時間は30分-1時間が平均だが、「七福神巡り」で浅草の社寺を3-4時間かけて回るコースも。また、東京スカイツリーや上野などにまで交通手段を兼ねて利用する人もいる。
勤務する「観光人力車 天下車屋」浅草店の車夫は現時点で約10人。女性は自身を含む2人で、男性には30-40代の年長者もいる。「女性も頑張れば車夫としてやっていける」というアピールを込めた人事であることを噛みしめる。
車夫志望の20歳前後の男子学生を指導中。「東大生もいます。その子は『勉強ばかりの人生だったから、体を動かす仕事を初めてしてみたかった』という思いで、苦戦しながら、受験勉強とは違った人生勉強をしているところです。アナウンサーを目指している子は、私のことを紹介した記事を見て入ってきました」
その関森さん自身もアナウンサースクール講師の勧めで21歳の大学4年時からアルバイトで人力車を引いた。当初の動機は「採用が200人に1人くらい」という狭き門のアナウンサー試験に向けた「自己PR」のため。就職活動の一環だった。研修中に人力車をひっくり返すアクシデントもあったが、同社の〝西の拠点〟である兵庫・姫路で修行を積んでから浅草に戻り、当時まだ少なかった女性車夫を続けた。
だが、幼い頃から憧れたテレビの局アナにはなれなかった。北海道から沖縄まで100局を受験して全て不採用。卒業後、ラジオに視点を切り替え、生まれ育った東京・江東区の「レインボータウンFM」を受けたところ、局長から「人力車を続けるなら採用」という打診を受けて現在に至る。
人力車とラジオの勤務は各4日ずつ。金曜は朝10時から夕方5時まで人力車、夜間は局で勤務という長い1日になる。番組で車夫として体験したエピソードを語り、走りながら実況することもある。
「ある意味、『人力車はラジオ』だと思います。ラジオは『対あなた』のメディアですけど、人力車も『対お客さん』。観光ガイドだけでなく、悩み相談や〝恋バナ〟をしたり。最近も80代の男性がラジオを聞いて乗ってくださり、私から『関森です』とご挨拶したら〝筋肉ムキムキ〟のイメージだったようで驚かれました(笑)」
女性ならではの利点も。「小さいお子さんがいる方や1人旅の女性が『安心する』と予約くださったり、車椅子の女性もリピーターでいらっしゃいます」
昨年12月には番組の収録で乙武洋匡氏が初乗車。身体的ハンディのある人にも接する。「車椅子のご夫婦に『いつもより高い位置から街の風景が違って見える』と喜んでいただき、目の不自由な方には街の音や風を感じていただける。車夫のトークも楽しんでいただきながら」
人力車はコミュニケーションの場だ。
「一生に一度だけ乗るという方もいます。一期一会、何十年たっても残る思い出を提供したいですし、そういうご縁を大切にできる人を採用したい。研修期間が3-4か月と長いので、辞めていく人も多いですが、人力車の楽しさをどう伝えるか、私も勉強中。不器用だけど頑張れる子を応援したい。そして、地元のお店との交流を大切にしてコラボしていきたい」
〝車夫DJ店長〟として日々、浅草の街から学んでいる。