手塚治虫の依頼で雑誌デビューした鈴木光明 漫画家で活躍後は後進育成にささげた生涯

よろず~ニュース編集部 よろず~ニュース編集部
鈴木光明「もも子探偵長」表紙の原画『りぼん』(集英社)1958年3月号ふろく
鈴木光明「もも子探偵長」表紙の原画『りぼん』(集英社)1958年3月号ふろく

 明治大学米沢嘉博記念図書館・現代マンガ図書館(東京・千代田区)は1階展示エリアで「マンガ家・鈴木光明」展を開催している。

 鈴木光明(1936-2004)は横浜出身、1952年にマンガ家としてデビュー。1955年「おもしろブック」3月号掲載の「くろがね力士」で雑誌デビューを果たし、同号のふろくである長編時代劇を、多忙にあえぐ手塚治虫の依頼によって代筆。当時はマンガ表現にストーリー重視の新しい波が来ていたころで、その波のひとつとなり10年ほど売れっ子として活躍したのち、後進育成にその生涯をささげた。
 同展では同館が所蔵する代表作の「織田信長」「もも子探偵長」などの貴重な原画および資料とともに、鈴木の歩みを紹介する。門下から才能ある新人が多く輩出することで注目され、1971 年に「別冊マーガレット」の審査委員、その後「花とゆめ」「LaLa」でも審査委員となった。1976 年より青山の花の館ビルにて少女漫画教室を主宰し、亡くなる直前まで自宅で後進を指導した。また、「織田信長」は「機動戦士ガンダム」で知られるアニメーター、漫画家の安彦良和氏に影響を与え、そのモブシーンの描き方に感動したとして、言及されている。著作に「鈴木光明の少女まんが入門(正・続)」「少女まんが家入門 特訓ドリル」「マンガの神様! — 追想の手塚治虫先生」など。2015 年から16 年にかけて、復刊ドットコムより「もも子探偵長」「スーパー・ミミ子」が続けて初単行本化された。

 同館の担当者は「手塚治虫先生と同時代に描き、人気作家になったあとはペンを置き、たくさんの少女マンガ家さんの指導に当たられた先生です。60年前とは思えないほど原画の線が美しいです!よろしければご覧になってください」と呼び掛けた。

 会期は来年2月7日までで入場無料。開館日時はホームページまで。

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