福島県で映画界のUMAを発見!本宮映画劇場の秘蔵ボスターに衝撃 書籍発売、館主父娘に聞く

北村 泰介 北村 泰介
強烈なインパクトを残す力道山の映画ポスター。その流血描写はホラー映画をほうふつさせる(写真提供・田村優子/本宮映画劇場)
強烈なインパクトを残す力道山の映画ポスター。その流血描写はホラー映画をほうふつさせる(写真提供・田村優子/本宮映画劇場)

 福島県には磁場がある。国内唯一のUFO研究所が6月に福島市でオープンしたが、翌月には、本宮市で築107年になる映画館の歴史と現在をつづった書籍「場末のシネマパラダイス 本宮映画劇場」(筑摩書房)」が出版され、発売1週で都内の一部書店では週間売上ランキングで村上春樹の新刊に次ぐ総合2位になるなど注目されている。映画界のUMA(未確認生物)ともいえる、フィルムの存在すら明らかではない謎の映画ポスターなど昭和大衆娯楽の遺産を保管する劇場の全貌が新刊本で明らかになったことを受け、記者の現地リポートに加え、同劇場の3代目で著者の田村優子さんに今後の展開を聞いた。(文中一部敬称略)

  記者は2代目館主の田村修司さんによる特別上映が行われた2017年夏と、台風による水害でフィルムが浸水するなどの被害に遭った19年秋に同劇場を訪ねた。郡山駅から各駅停車の在来線で13分。本宮駅前から2分ほど歩くと、住宅街の路地裏にピンク色の外観が際立つ木造3階建ての劇場がある。

 一歩、足を踏み入れると、昭和にワープだ。大スターの顔写真やポスターだけでなく、「ピカピカハレンチ」「痴漢山」「パンティ大作戦」といったピンク映画のぶっ飛んだ発想のタイトルとデザインが施されたポスターに目が釘付けになる。さらに「女子 小人プロレスリング大試合と20世紀のスリラー大魔術」「おいらんショウ」「お初地蔵の由来」といった実演のポスターも脳を刺激。映画だけでなく、浪曲、芝居、歌謡ショー、女子プロレスといった興行の場でもあったのだ。

 1950年から5年間、同劇場の舞台に立った南條文若という浪曲師は後に三波春夫として国民的歌手になる。初代館主・田村寅吉氏に手紙で歌手デビューを告げた三波のサイン入りLPは、今も稼働するカーボン式映写機のある映写室に飾られている。

 1914年に建てられ、63年の休館後も、自動車メーカーに勤務しながら、メンテナンスを続けてきた修司さん。記者の取材に「定年退職したら映画館を再開しようと思って、フィルムやポスター、機械の部品もスペアで買っといたの。ところが会社を辞めたら周りは高齢化で映画館に来る人もいなくて、浦島太郎みたいになっちゃった。それでも映写機の面倒見てっから。自動車と同じで、乗らなきゃ動かなくなっからね。毎日掃除して磨いてんだ」と語った。

 その生き様を三女の優子さんから伝え聞いた、写真家で編集者の都築響一氏が著書「独居老人スタイル」(13年、筑摩書房)で紹介。興味を感じた人たちが全国から見学に訪れるようになった。

 修司さんに「いい塩梅の距離感」で寄り添い、素朴な筆致で入魂の1冊を6年掛けて書き上げた優子さん。拠点とする東京と故郷本宮を行き来し、19年の台風では水没したフィルムの修復に奔走。東京の仲間らが応援に駆け付けた日々の記録もつづった。マニア心をくすぐる優子さん撮影の写真だけでなく、同書には昭和を生きた地元の人たちに加え、近年、若くしてこの世を去った恩人や親友も含め、著者の周囲にいる人たちの魂が宿る。この本は「人」であふれている。

 7月に都内で行われた出版記念イベントで、優子さんは父が編集したピンク映画のフィルム上映前に都築氏と対談。都築氏が「映画自体はつまらなくても、お父さんのは『いいとこ場面集』だから面白い」と解説すると、優子さんは「どんなつまんない映画も、必ず一箇所いいシーンあるよ…って父に教えられた」と明かし、都築氏は「人生みたいですね」と返した。

 そんなイベントの地元での実現を願う。優子さんは「水害、震災ですっかりさみしい景色となった本宮市。コロナ禍が落ち着いたら、舞台のある映画劇場を活かし、実演付き上映会などをマイペースに開催していきたいです。映画や芸が好きな人々が集まれる憩いの場になるといいなと思っています」と青写真を描く。ツイッターの「本宮映画劇場@motomiyaeigeki」などSNSでも情報を発信。次代を担う3代目は「映画館を生きていこう」と心に決めている。

 福島市飯野町が「UFOの里」なら、本宮市は「映画と大衆芸能の里」となる可能性を秘めていると感じた。

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