山口百恵さんの「セーラー服のテカリとスターのオーラ」にギャップ萌えした日 ポスター図案士が語る

北村 泰介 北村 泰介

 今年上半期にテレビの地上波で放送された番組を振り返ると、NHKで1月30日にオンエアされた「伝説のコンサート〝山口百恵1980.10.5日本武道館〟」が思い出される。SNSでの反響も大きく、改めて時代を超えた存在と実感させられたが、山口百恵主演映画のポスターを全作手がけた映画広告図案士・檜垣紀六氏に話を聞く機会があった。檜垣氏はデビュー時の強烈な印象を明かし、さらに邦画界で接した人たちとのエピソードも披露した。(文中一部敬称略)

 同氏は大著「映画広告図案士 檜垣紀六 洋画デザインの軌跡」(スティングレイ発行、税抜9000円)を今年出版。同書の対象は洋画だが、東宝宣伝部に在籍していたことから、邦画にも数多く関わった。東宝では「用心棒」など黒澤明監督作品、「ゴジラ」などの特撮、森繁久彌の「駅前」や加山雄三の「若大将」シリーズ、「駅」や「八甲田山」など高倉健主演作、市川崑監督「犬神家の一族」や岡本喜八監督「日本のいちばん長い日」、宮崎駿監督「ルパン三世 カリオストロの城」と枚挙にいとまがない。「絞首刑」や「愛のコリーダ」など大島渚監督作も手掛けている。

 山口百恵主演映画は「伊豆の踊子」(74年)を皮切りに、「潮騒」「絶唱」(75年)、「エデンの海」「風立ちぬ」「春琴抄」(76年)、「泥だらけの純情」「霧の旗」(77年)、「ふりむけば愛」「炎の舞」(78年)、「ホワイト・ラブ」「天使を誘惑」(79年)、「古都」(80年)の13作。その全てを担当した檜垣氏は「衝撃の出会い」を明かした。

 「ホリプロの堀威夫さんから『マネージャーが新人を連れて行くから』と連絡いただき、撮影所に行くと、事務所にセーラー服を着た女の子がポツンといるの。それが百恵さんだった。制服のスカートがテカリで光っていたことをよく覚えている。それで、いろんなことを聞いたら悪いかなとか思いながら、ヘアメークしてスクリーンテストしたら、ガラッと変わって、すごいピカピカに輝いていてね。スターのオーラがあった。堀さんには「後(あと)、頼みますね』って言われて引退作の『古都』まで全主演作のポスターをやりました」

 檜垣氏は百恵さんの記憶を胸に刻みつつ、それ以前の邦画界も振り返った。

 「東宝映画のポスターで司葉子さんと宝田明さんが抱き合う場面を作る時、古い電話帳をガムテープで止めて台代りにした。180センチ以上ある宝田さんが相手だと2冊が必要。約20センチですよ。また、クレージーキャッツの植木等さんが日本テレビ系『シャボン玉ホリデー』やジャズクラブに出ていた頃、東宝が社長シリーズを卒業して、無責任なものをやろうということになった。スタジオで『ニッポン無責任時代』のポスター撮りで待っていたら、植木さんが入ってきて、『映画でサラリーマンやるんですけど、(現実に)やったことないから、何すればいいんですかね』って聞かれましたよ(笑)」

 昨年没後50年を迎えた文豪との出会いもあった。「三島由紀夫さんが監督・主演した映画『憂国』のポスターに関わった時、三島さんから電話がかかってきて『ポスターも全て私がやっていることにしてください』と言われ、帝国ホテル別館のバーにあるL字型カウンターの角で待っているということで行ったら、そこは石原裕次郎さん専門の席だった。三島さんは背が低いから、裕ちゃんの椅子はやっぱり高いな…と関係ないことを思いながら、並んで酒を飲んだ」

 昨年亡くなった元俳優で東映の岡田裕介前会長との縁も。「彼の主演映画デビュー作『赤頭巾ちゃん気をつけて』のポスターを作る時に、東宝の事務所に行ったら、裕介が来ていて、さかんに映画の事を聞いてくる。『お前のオヤジ何やってんだ』と聞いたら、『三角マークです』って答えるから、『なに、東映の岡田(茂)さんの息子か!』って(笑)。その後、親父さんの跡を継いだ裕介に頼まれて『天国の駅』や『ホタル』とか東映映画もやらせてもらいました」

 一番思い出のある邦画のポスターは「ひめゆりの塔」(82年)だという。「栗原小巻が先生役で、古手川祐子や田中のスーちゃん(好子)らが女学生役。ポスターは小巻さんを真ん中に卒業写真にしようということで、沖縄で撮ってもらったんだけど、写真を見たら女学生役の子が1人だけシルバーの時計をしていた。戦争中の話だから、印刷屋さん呼んで『これ、消せ』って。大変だったよ(笑)」

 日本映画を支えた81歳の名匠は、数々の出来事を懐かしみながら、現在は約70年来の虎党として16年ぶりのリーグ優勝に突き進む阪神タイガースに熱視線を送っている。

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