王子様のような衣装を着て歌い踊る少年と嬌声を浴びせる女性ファンたち。今、日本、韓国、中国など東アジア全体で隆盛を迎えているカルチャー「男性アイドル」。「アイドル」という言葉はもちろん欧米由来だが、実はアメリカやイギリスにいわゆるアイドル的な男性歌手はほとんど存在しない。未成熟で、中性的で、おとぎ話の世界から出てきたような少年を愛でる、男性アイドルというカルチャーは昭和の日本で生まれ、育まれてきたものなのだ。
はじめて明確な男性アイドル像を確立したのは1967年にザ・タイガースのボーカリストとしてデビューした沢田研二だ。当時の沢田の特徴は長髪に華奢な体格、大きな目に甘いマスク…石原裕次郎、加山雄三、御三家(橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦)などそれ以前のスターたちとは明らかにタイプの異なるその中性的なルックス。戦後20年以上を経てジェンダーの価値観が変化しつつあった当時、明らかに「タチ」でしかない男臭さはもはや古臭くなり、代わってもしかしたら「ウケ」かと思わせるような沢田の中性的魅力が日本中の女性たちの心を射抜いたのだ。
ザ・タイガースが主演した映画『世界はボクらを待っている』(1968年)に『イエロー・キャッツ』という曲の演奏シーンがあるのだが、猫のような手ぶりをして歌い踊る沢田の媚態はとても50年以上前のものとは思えない甘苦しいアイドルぶり。この人物がそのまま現代に生まれ変わっても、必ずアイドルとして成功することは一目瞭然だ。実際、長年ジャニーズ事務所をリードし日本に男性アイドルカルチャーを定着させたジャニー喜多川は1970年代以降、沢田を理想のアイドルとして自社タレントの売り出し方のお手本にしている。
沢田によって確立されたアイドル像は1970年代には新御三家(野口五郎、西城秀樹、郷ひろみ)に引き継がれ、さらに世界観をふくらませていった。デビュー当時の郷は沢田よりさらに甘苦しいルックスで、独特の舌足らずな歌い方もあいまってボーイズラブ漫画の主人公のようなあどけないアイドル像を作った。また西城はどちらかというと男らしいワイルドさが持ち味だが、長髪できらびやかな衣装に身を包み、野口や郷と共演を重ねることで少女たちに自分がアイドルであるということを疑わせなかった。ある程度の男らしさをアピールしても、アイドルとして「アリ」だと思わせることに成功したのだ。
1980年代になるとジャニーズ事務所からデビューしたたのきんトリオ、中でも田原俊彦、近藤真彦が新たなアイドル像を作っていった。この時期の二人の特徴はドラマ『3年B組金八先生』(TBS)で見せたような、これまでのアイドルよりも心理的ハードルの低い、「隣のお兄さん」的な魅力だろう。当初、歌手としての実力面では必ずしも高い評価を得ることはできなかったが、それすらもまたアイドル独特の魅力としてアイドルカルチャーの重要な要素になってゆく。ただ、年を経るにつれ田原のダンスの実力は極めて高いものとなり、それが「アイドル=ダンス」という世間の認識を強めることになった。
そして1985年にデビューした少年隊(錦織一清、東山紀之、植草克秀)の成功はジャニーズ事務所のグループアイドル重視という方針を決定的なものにした。この時期以降、同事務所が芸能界で支配的な地位を得たことも関係し、日本のアイドルシーンはグループアイドルが中心となってゆく。また少年隊はその高い実力と王道アイドル的なルックスでアジア諸国でも大きな人気を得たのだが、韓国初のアイドルグループと言われる「ソバンチャ」(『オジェパム・イヤギ~ゆうべの話』で有名)はまさに所属事務所が少年隊をモチーフに売り出したグループ。現在、BTSやBIGBANGなど韓流のグループアイドルが世界中で評価を受けているが、その根源には少年隊があったというわけだ。
沢田研二に始まり、新御三家、たのきんトリオ、少年隊を経て今や世界的なムーブメントとなりつつある「男性アイドル」。昭和の日本に始まったこのカルチャーが今後、どのような進化、発展を遂げてゆくのか楽しみでならない。