『ゴジラ vs コング』日米怪獣の頂上対決~その決着の鍵は? 鑑賞した切通理作が語る

切通 理作 切通 理作

『ゴジラ vs コング』の日本公開が5月14日(金)から始まる。筆者は試写で本作を鑑賞する僥倖を得たが、会場に入る前、私と同じく大の怪獣ファンでもある若い作家の友人から声を掛けられた。

 「僕、これ観たらもう興奮でどうなっちゃうかわかりません。観た後少し喫茶店で話しませんか?」

 果たして、鑑賞後小一時間映画のディテールについて語り合った。怪獣どうしの歴史的対決の復活を目の当たりにして、すぐにクールダウンして日常に還れるはずもないのである。

 だが我々は、いくつかのネタバレポイントに抵触しないよう、英語の契約書にサインを求められ、応じたこともあり、何もかも明かすわけにはいかない。ここでは、歴史的カードの意義を振り返りつつ、その醍醐味に触れていきたい。

 本作はワーナー・ブラザースとレジェンダリー・ピクチャーズ製作の怪獣映画としては、『GODZILLA ゴジラ』(2014)『キングコング: 髑髏島の巨神』(2017)『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』(2019)に次ぐ4作目。これらは同一の世界観であり「モンスターバースシリーズ」と呼ばれている。

 内、『キングコング: 髑髏島の巨神』は、同シリーズの世界観の中でのキングコングのデビュー作であり、ゴジラは登場していない(ラストでその存在は示唆されるが)。

 このシリーズでは、観客にとって、まずゴジラの存在を認識してから、コングの出現を迎え入れるという順序になっている。

 元々、1933年のアメリカ映画『キングコング』がコング誕生の発祥で、一方のゴジラは言わずと知れた日本産。1954年の『ゴジラ』が最初の誕生である。

 両者は1962年の『キングコング対ゴジラ』で一度対決しているが、この作品は『ゴジラ』同様日本の東宝映画で、コングもゴジラに合わせて大きさや能力がカスタマイズされている。

 とはいえ、アメリカから正式にライセンスをとりつけて借り受けたコングのキャラクターを向こうに回したゴジラの戦いは、「日米対決」の様相を帯びていた。怪獣映画の格闘シーンはよく「怪獣プロレス」と呼ばれるが、プロレスになぞらえられる最初が、このカードにあったのだ。

 その決着はどうなるのかと固唾をのんで見守る当時の観客の前に出された答えは「引き分け」であった。

 果たして、今回の決着はどうなるのか?……それを明かすわけにはいかないが、筆者は観る前、ある予想を立てていた。「モンスターバースシリーズ」において、ゴジラは必ずしも悪役ではなく、かといって人間の味方というわけでもない。万物の霊長と言われてきた人類以上の「生態系の頂点」として君臨し、この地球の生物の調和を乱すものに対しては、敢然と戦いを挑む存在だ。

 コングもまた、髑髏島の王として、島の調和を脅かすものと戦っていた。

 この両者が戦うとしたら、それはなんらかの理由で生じた「誤解」もしくは仕組まれたカードであり、前半から中盤にかけてはいがみ合うものの、後半は「共通の敵」に気が付いて、それに協働して向っていくのではないだろうか。

 そんな予想を立てていたのだ。

 ではその「共通の敵」とは何か?

 真っ先に考えたのは、髑髏島でコングを脅かした「髑髏の亡者」スカルクローラーの仲間で最強の奴か、ないしは彼らが合体したものではないか……ということであった。

 だが『ゴジラ vs コング』の予告編を見て、ある存在が脳裏にチラつき始めた。それは、怪獣に万物の霊長の座を譲り渡してなるものか……という人類の頑張りに通じるものであった。

 思えば、かつての『キングコング対ゴジラ』は、高度経済成長に向って駆け上がってきた日本の会社員が、怪獣同士の対決すらも自社の宣伝合戦に利用しようというところにまで勢いを持ち始めたことを示すような、時代とシンクロした「お祭り企画」であった。

 この祭りに、人類もまた、ただ畏怖の念を以て見上げていればいいというものではない。

 ある時は怪獣たちの目線の高さに立って、ある時は怪獣たちがどこからやってくるのかにまでさかのぼりながら続けられる、人類の飽くなき探求精神。それが怪獣たちのパワーにぶつかる時、何が起こるのか。そしてゴジラとコングは、どんな「コミュニケーション」を見せてくれるのか、5月の公開では満を持して明らかになる。

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