長崎県民なら誰もが知っているあのランドマークが、実は意外な建築方法で作られていたことがSNS上で注目を浴びている。
「みなさんご存じでした? 重厚に見える長崎銀行、じつは #看板建築 だったってこと!(アタシャ初めて知ったよ!)」と投稿したのは漫画家のマルモトイヅミさん(@rosy3po)。
いかにも重厚な洋館然とした長崎市の長崎銀行本店。マルモトさんは、これが実は瓦葺きの建物の前面に洋館風の衝立を置いた"看板建築"だったことを発見したのだ。
今回の投稿に対しSNS上でユーザー達からは、
「先日通帳作った。行内は新しかったよ。」
「瓦じゃない箇所は、3階部分を増築した箇所だったとおもいます。もともと3階建ての部分と合わせて外壁を着けたんじゃないでしょうか。建物自体は大正時代のまま使ってるようです。」
「これは多分、被爆前の貴重な建築を残しているということではないかなー。
この辺一帯は被爆直後の火災でほとんど焼けたのですが、長崎銀行はその火災から逃れて残ったんです。」
など様々な知見が集まっている。
マルモトさんにお話を聞いた。
ーー長崎銀行本店は長崎の方にとってはどのような建物なのでしょうか?
マルモト:実は地元にはもっと大きな銀行があり、わたしも利用しているのはそっちなんです。長崎銀行はずっとこの場所に建っていたので、素敵な洋館だなあと思いながら普段は通り過ぎるだけでした。たぶんそういう人が多いと思います。
ーー長崎銀行が看板建築だと知った際の率直な感想をお聞かせください。
マルモト:新しい市役所が19階建てで、それまで高い建物は市の中心部になかったので、街を上から間近に眺める景色は初めてでした。長崎銀行を見て、瓦屋根だと気づいた時は目を疑いました。信じられずグーグルマップで位置を確かめたりしました。
ーーこれまでの反響やコメントについてご感想をお聞かせください。
マルモト:思いのほか反響がありうれしく思いました。いろいろ情報をくださった方もおり、大正時代に「流行で30年くらいもてばいい」という感じで建てられ、それが原爆でも無事に残って、そして現在に至るという壮大なストーリーが見えてきたのには感動しました。
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本店建築については1928年発行の「無尽研究録」という書誌にも「半永久であれば周囲は鉄筋コンクリートにし、見えない内部は木造にし一時的にしのぎ、社業の発展とともに増築改築をする」と記録が残っている。
結成30年の「長崎路上観察学会アルキメデス」というまち歩きグループを主宰するマルモトさん。今回の発見について「『歩いて見なくちゃ気ヅカナイ目玉がデアッタ素顔の長崎』というのがモットーです。今回の発見はまさにアルキメデス冥利に尽きます」とのこと。グループの活動にご興味のある方は是非ブログなどチェックしていただきたい。
マルモトイヅミさん関連情報
Twitterアカウント:https://twitter.com/rosy3po
長崎路上観察学会アルキメデスのブログ:https://arukime.blog.fc2.com