大河『家康』岡崎体育が演じた鳥居強右衛門 命懸けの献身 感動した敵方の武士が描いた褌一丁の旗 識者語る

濱田 浩一郎 濱田 浩一郎
岡崎体育
岡崎体育

 NHK大河ドラマ「どうする家康」第21話は「長篠を救え」でした。甲斐の武田勝頼(信玄の後継者)による長篠城(愛知県新城市長篠)攻めにより、苦境に立つ城主・奥平信昌の姿と、長篠城の危機を救った武士・鳥居強右衛門(すねえもん、演・岡崎体育さん)が描かれていました。

 天正3年(1575)5月、甲斐の武田勝頼は、徳川方の長篠城を1万5千の大軍でもって包囲、激しい攻撃を加えます。このままでは、長篠城は何れ落城してしまう。武田軍による三河侵攻、長篠城の危機を救うため、徳川家康は織田信長に助けを求めます。

 5月13日、信長とその嫡男・織田信忠は、長篠城を後方から支援するため、岐阜を出馬(『信長公記』)。そして、翌日には岡崎に到着。信長は出陣したわけですが、家康としても、長篠城に籠る将兵にしても、信長が本当に出陣したか否か、どの辺りまで進軍しているか気がかりだったと思われます。

 『三河物語』の記述によると、長篠城に籠る武士・鳥居強右衛門は「信長が出陣しているか、見てこい」と命じられます。武田方の目を避けて、城から抜け出した強右衛門。家康と対面した後に、無事に信長の陣に辿り着きます。強右衛門の来訪を知った信長は大いに喜んだそうです。

 信長出陣を確認した強右衛門は、援軍が来ていることを知らせようと、長篠城に入ろうとします。強右衛門は竹束を背負い、城に入ろうと様子を窺っていました(竹束は、鉄砲玉を避けるためでしょう)。

 が、城まであと一歩というところで、武田軍に捕えられてしまうのです。武田勝頼の面前に引き出された強右衛門は「私の言う通りにするならば助命し、十分な知行地をやろうぞ」との話を持ちかけられます。勝頼は、強右衛門を磔にして晒した際に「信長は出陣していない。よって城を明け渡せ」と城内に向けて叫ぶように命じたのです。そうすれば、命を助け恩賞をやろうと囁いた訳です。

 強右衛門は勝頼の言葉に感謝し「命を助けて頂けるならなんでもいたします。その上、知行地まで頂けるとのこと。有り難いことでございます。長篠の城の近くに磔にして、早く晒してください」と催促します。

 言葉通り、城の近くに磔にされた強右衛門。強右衛門は城内に向けて言葉を発しますが、それは勝頼に言ったこととは真逆のことでした。「信長は岡崎まで出陣。信忠は八幡まで出陣。家康は野田に移っている。よって、城の運は開けようぞ」という内容のことを長篠城の将兵に向けて、叫んだのです。

 当然、武田方は怒り心頭。「敵の強みを言いおって。早くトドメをさせ」ということで、強右衛門はすぐに殺されてしまうのでした。強右衛門の命を懸けた行為。その姿に感激した落合佐平次(武田方の武士)は、磔にされている強右衛門の姿を描き、旗指物にしたとされます。

 それが「落合左平次道次背旗」(東京大学史料編纂所所蔵)です。同旗には、ギロッと両目を見開いた褌一丁の強右衛門が描かれており、1度見たら、忘れられないものです。

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