大河『べらぼう』蔦屋重三郎が刊行した“吉原総合情報誌”の特色 「雛形若菜初模様」はファッション誌!?

濱田 浩一郎 濱田 浩一郎
画像はイメージです(freehand/)
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 NHK大河ドラマ「べらぼう」第4回は「雛形若菜の甘い罠」。安永4年(1775)7月、蔦屋重三郎は吉原細見(吉原遊廓の総合情報誌)『籬(まがき)乃花』を刊行します。これは重三郎が小売業者から出版者となって刊行した初めての「吉原細見」でした。

 「吉原細見」の出版は鱗形屋孫兵衛の独占するところとなっていました。重三郎は鱗形屋が刊行する「吉原細見」の小売や編集を担当していたのですが、突如として「吉原細見」の出版業者に転じたのです。そこからは、鱗形屋に緊急事態が生じたことが窺えます。

 同年5月、字引『増補早引節用集』の海賊版が江戸で作られますが、それに鱗形屋の手代が関与していたのです。海賊版は大規模(3400冊)に刷られたと言われており、そうなると一手代の関与のみだったと言うのは困難でしょう。つまり、鱗形屋が海賊版の制作を企てたということになります。海賊版の制作を大坂の版元から訴えられたことにより、鱗形屋は同年秋の「吉原細見」の刊行が難しくなったと考えられます。

 その間隙をついて重三郎が「吉原細見」の刊行に乗り出したと推測できるでしょう。蔦屋重三郎版の「吉原細見」は「一回り大きい書型を用いて、道をはさんで二軒の遊女屋の記事を半丁に入れ込んでいる」ことが特色でした。「半丁に一軒の遊女屋の記事を組んでいた」鱗形屋版に比べて、紙代が節約されているのです。安く卸すことができた蔦屋版は江戸の書店などに歓迎されたことでしょう。

 今回ドラマで登場した「雛形若菜初模様」は、美人画の第一人者と言われる浮世絵師・磯田湖龍斎が描いた連作の大判錦絵です。版元は永寿堂西村屋与八ですが、制作協力や販売は重三郎が担ったと考えられています。同作品の中には重三郎の書店「耕書堂」の印のあるものもあります。遊女の流行の着物や髪形などを描いたファッションブックとも言うべき「雛形若菜初模様」は吉原が西村屋に働きかけて実現した企画であり、両者を仲介したのが重三郎と考えられているのです。

 また今回は松平定信の養子入りの件が描かれました。定信の兄・田安治察が病死することにより、田安家は絶家の危機を迎えていましたが、そのような折り、宝蓮院(定信の父・田安宗武の正室。定信の養母)は幕府に対し、定信の田安家相続を願っていました。ところが稲葉正明(御側御用取次)からは、8代将軍だった徳川吉宗の決定(無嗣であれば領知は収公)を盾にその願いを拒否するとの返答がありました(しかしその返答の翌日には、領知はそのまま田安領とすることが伝えられている)。

 定信の自叙伝『宇下人言』によると、治察臨終の際、宝蓮院が稲葉から定信の田安家相続の協力を取り付けていたといいます。しかし、治察の死後に田沼意次がその約束を破ったと記されているのです。

◇主要参考・引用文献一覧 ・松木寛『蔦屋重三郎』(講談社、2002)・高澤憲治『松平定信』(吉川弘文館、2012)・藤田覚『松平定信』(中央公論新社、2013)・鈴木俊幸『蔦屋重三郎』(平凡社、2024)

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