1970年代にブームを巻き起こした女性デュオ「ピンク・レディー」の未唯mieが1月に総勢20人以上のビッグバンドによる公演「新春〝Pink Lady Night〟2025」を開催する。16年目を迎える恒例のライブ。81年の解散から続くソロ活動の中でも自身のスタイルを確立したイベントを前に、未唯mieがよろずニュースの取材に対して、ソロになった当初の葛藤から音楽性を追求する充実期に至るまでの歩みや、今後の活動について語った。(文中敬称略)
1月4日にビルボードライブ横浜、11日にビルボードライブ大阪、18、19日に東京・目黒のブルースアレイジャパンで計7公演(最終日以外は1日2公演)を行う。
パーカッション奏者・仙波清彦率いる総勢20人以上の大所帯バンド編成で、キーボード奏者の久米大作による大胆なアレンジが施されたピンク・レディーの代表曲を演奏。ギタリストの白井良明(ムーンライダーズ)、ベーシストのバカボン鈴木、トロンボーン奏者の村田陽一、バイオリン奏者の高橋香織ら一流ミュージシャンに、笛や大鼓、小鼓の和楽器、ジャンベ、チャンゴ、タブラ、ボンゴといった多国籍の打楽器にドラムとパーカッションが絡む打楽器隊による圧巻のステージが繰り広げられる。
ケイ(増田恵子)と組んだピンク・レディーの活動期間は76年8月からの4年7か月間。81年3月の解散後、ミイからMIEとなって、ソロ歌手、女優として活動の幅を広げた。
「私は厳しい家庭で育ったので、事務所から下ってくる仕事にもそんなに抵抗がなかったんですよね。『この四角からはみ出ないように』と言われたら、私は『その決められた四角の中を目一杯埋めよう』という意識になれた。それが、ソロになって『自由にいろんなことを発想したらいいよ』と言われると、逆に『どこに行けばいいの?』という感じがあって、20代いっぱいは迷走しながら、私の世界観や音楽性はどこにあるんだろうという〝はてな(?)〟マークと共に、ただひたすら走っていて、30代になってから一歩ずつ自分の世界を見つけていった。昨年、『MIE to 未唯mie』というソロのベストアルバムを出しましたけど、通して聴くと、『ここは言われてやってるな』、『ここからは自分なりに手探りでやっているな』というところが見えて面白いです」
そうして到達した現在のスタイル。後押しされた恩人の1人が、21年に亡くなった日本を代表するドラム奏者の村上〝ポンタ〟 秀一(享年70)だった。「ポンタさんからライブを手伝ってくれると言われて18年たちます。その頃から新しい進化が始まっているという感じで、まだまだ楽しみだし、ワクワクしてますね」。村上は「エターナル(永遠の)ドラマー」として新春公演のメンバーに名を連ねている。
一方、ピンク・レディーの相方であるケイも「増田惠子&KEI」として来年1月28日に東京・有楽町の「I’M A SHOW」で公演を開催するなどソロ活動を続けている。
未唯mieは「まだ決まっていないことが多いのですが、再来年の2026年はピンク・レディー50周年、ソロ45周年になります。ワールドワイドで、ボーダーラインがないネット配信など、いろいろなアイディアを考えながら、音楽活動も加速させていきたいなと思っています」と意欲を示した。