37年前、関門海峡に浮かぶ「巌流島」(山口県下関市)でアントニオ猪木とマサ斎藤が一騎打ちした試合は今もプロレス界の伝説として語り継がれている。ゴールデンウィーク期間中の4日に当地で行われたイベントで、西口プロレスのアントニオ小猪木がこの〝巌流島決戦〟を再現する試合に挑んだ。小猪木が現地からリポートする。(文中敬称略)
周囲約1・6キロの「巌流島」は江戸時代初期(1612年)に「宮本武蔵と佐々木小次郎が戦った地」として知られている。正式名称は「船島」だが、敗れた小次郎の流派から「巌流島」と呼ばれる。島へのアクセスは下関の唐戸桟橋から連絡船が毎日運航しており、所要時間は約10分。島内には武蔵と小次郎の死闘を再現した像や石碑が建ち、散策や釣りも楽しめる。
その決戦をヒントに企画された猪木VS斎藤戦は1987年10月4日、無観客・時間無制限・ノールールで行われ、2時間5分14秒、猪木が斎藤の背後からスリーパーホールド(裸絞め)を決めてTKO勝利した。
今回は「巌流島フェスティバル2024」でのプロレス試合の一環として行われた。小猪木は「マサ斎藤さん、藤波辰爾さんの弟子であり、現在は下関市議会議員を務めるプロレスラーの竹村豪氏さんの計らいで実現させていただきました」と明かす。
西口プロレスのヘビー級王者でもある小猪木は同門で下関出身のラブセクシー・ヤングを挑戦者に迎えての9度目の防衛戦として激突。同地では91年12月18日に馳浩(現・石川県知事)とタイガー・ジェット・シンも一騎打ちしたが、この試合はノンタイトル戦であり、小猪木は「巌流島でのタイトルマッチはプロレス界で初かもしれません」と付け加えた。
小猪木は「船に乗って風を感じながら決戦への思いがつのり、巌流島が見えてきた時に『あの島で今日、試合をするのか』という思いになりました。上陸するとお客さんから『小猪木頑張れよー!』とたくさんの人たちから声をかけられ、勇気が沸きました。猪木芸人として特別な思いと使命にかき立てられました」と振り返る。
「晴天でした。5月にしては暑いくらいでした。日中、風はなかったのですが、午後になるにつれて風も吹いてきて、夕方には強くなってきました。海風を感じました。日焼けするくらい暑かったですが、真夏ではないので〝地獄の暑さ〟ではなかったです。観客は山口県民だけでなく、福岡、広島、岐阜、千葉など全国から来られていて、人数は想定で1000人弱でしょうか。かなり盛り上がっていました。それは断言できます!」
会場に設置されたリングで始まった60分一本勝負の試合は場外戦に発展。両者は芝の上でグラウンドの展開を繰り広げた。猪木と斎藤の伝説マッチをリスペクトし、同試合を意識した戦いを展開。9分16秒、小猪木が当時と同じ技・スリーパーホールドでヤングを絞め落とした。
小猪木は「巌流島には〝決闘の地〟という歴史があり、武蔵対小次郎だけでなく、アントニオ猪木とマサ斎藤の闘いの記録も島の石碑に刻まれていました。連絡船の船内放送では猪木さんとマサさんの試合情報も観光客向けに放送されていました。その巌流島で、アントニオ小猪木も試合ができたということに対して感慨深く、誇りに思っております」と思いを込めた。
71年生まれの小猪木にとって、〝本家〟の巌流島決戦は16歳の高校1年時だった。試合の様子はメディアを通してリアルタイムで情報を得ていたが、50代にして、その〝場〟をリアルに体験した感動はひとしおのようだった。