NHK大河ドラマ「どうする家康」第36話は「於愛日記」。徳川家臣・本多忠勝の娘(稲。小松姫とも言う)が真田信幸のもとに嫁ぐ様が描かれました。真田信幸は、昌幸の嫡男として、永禄9年(1566)に生まれています。ちなみに、その翌年(1567年)には、弟・信繁(幸村の名で有名)が生まれているのです。
天正14年(1586)11月、豊臣秀吉の命令により、真田は徳川家康の与力大名となります。稲がいつ信幸と婚姻したかについては諸説ありますが、この天正14年以降のことと思われます。稲は、家康の養女になって、嫁いだとされます。しかし、信幸には既に「妻」がいました。真田信綱(昌幸の兄)の娘・清音院殿です(いとこ同士の結婚でした)。稲が嫁ぐまでは、清音院殿が信幸の正室だったとされます。が、稲が嫁ぐと、清音院殿は側室に落とされたとも言われているのです。徳川家との結び付きを真田は重要視したのです。
清音院殿は、文禄4年(1595)に、信幸の子・信吉(長男)を産みます。一方、稲は、慶長2年(1597)、信政(次男)を産んでいます。父・信幸は信濃松代藩の初代藩主となりますが、信政はその後継(2代藩主)となるのでした。
一方、信吉は、沼田(群馬県沼田市)を父から譲られ、沼田藩2代藩主となります。信吉は、寛永11年(1635)に亡くなりました。信政は、万治元年(1658)2月に亡くなっています。2人の父・信幸は長命で、万治元年10月に93歳で没しています。信幸が、信政に家督を譲り、隠居したのは死の2年前(1656年)でした。
さて、今回のドラマでメインで描かれたのは、広瀬アリス演じるお愛の方(西郷局)です。お愛は、家康の側室となり、徳川秀忠(後の幕府2代将軍)と、松平忠吉(尾張清須藩主)を産んでいます。しかし、お愛は天正17年(1589)5月19日に亡くなってしまいます。『家忠日記』(徳川家の家臣、深溝松平家当主の松平家忠の日記)によると「若君様御袋、西郷殿」が一昨日(19日)に「御死去」とあります。
それに続けて「野田菅沼助兵へ喧嘩にて死去の由申来候」との一文があることから、お愛は東三河野田の豪族・菅沼氏の者との喧嘩により死亡したのではとの見解もあります。その一方で、家康の後継者の生母がそのような喧嘩に巻き込まれることは考え辛く、他史料に同じ記述がないことから、トラブルによる死亡ではなく、病死したとの見解も存在します。おそらく、後者の方が正しいのではないでしょうか。