ステージ4甲状腺がんで覚悟決めたことも 河内家菊水丸「あきらめてはダメだと」 目標は大阪万博2025で河内音頭

中江 寿 中江 寿

 7月1日の大阪・八尾市を皮切りに、4年ぶりの盆踊りツアーを開催した伝統河内音頭継承者の河内家菊水丸(60)がこのほど、よろず~ニュースの取材に応じ、河内音頭の道に入ったきっかけ、病との闘い、今後の抱負などを語った。

 1972年に9歳で父・河内家菊水に入門してから51年。父から「盆踊りに着いてきたら、夜店はタダやからな」との甘い言葉に誘われ、ネタを覚えて唄っているうちに気がついたら、河内音頭の魅力に惹かれた。「自分からなりたいというのではなく、父親のエサに釣られたというか。主催者からタダ券をもらって、金魚すくいから輪投げ、綿菓子もタダかいなあと。子どもの理由ってそういうもんでしょう。あとから河内音頭が好きになって」と笑う。

 当時は少年の音頭取りは珍しく、盆踊りの主催者から出演依頼が殺到。「子役が重宝されるのと一緒で。父親はずいぶんもうけみたいで。自分が座を組んで回って、ご祝儀をもらうじゃないですか。父親が主催者に〝おおきに!〟と言っていたのはこれか!と」。大人になって少年の頃の〝疑問〟が解けた。

 1980年に吉本興業所属。90年には参議院議員だったアントニオ猪木さんに同行して湾岸戦争直前のイラク・バグダッドで民間交流を行い、「平和の祭典」と銘打ったイベントでイラクのバグダッドに同行。91年にはアルバイト情報誌のCMソングで全国区になるなど、幅広く活躍するようになった。

 順風満帆だった菊水丸を病魔が襲い、2013年には甲状腺ガンの手術を受けた。「声帯が近いので、声が出なくなるのを覚悟せないかんと。ギリギリの手術でしたからね。ステージ4で転移もしていましたから」と振り返る。転移した場所は声を出すのに一番大事な神経の真横。少しでも神経に傷がつくと、声量に大きな影響が出るという難手術だった。

 セカンドオピニオンで見つけた病院。最初の病院では厳しいことを言われ、「次の1年盆踊りで回って、それで人生を閉じても50年と1回は覚悟しました」とあきらめかけたが、必ず手術を成功させる医者がいると信じていた。当時の吉本興業代表取締役社長・大崎洋氏からも励ましを受け、執刀医を探し当てた。「あきらめてはダメだと思いました」。その後は再発も転移もしていない。

 当面の目標は25年の大阪・関西万博だ。1970年の大阪万博では河内音頭の発表の場はなかった。「2005年の愛知万博の『大阪の日』で太田知事(当時)からご指名を受け、2010年の上海万博では橋下知事(当時)からご指名を受け。2025年は吉村知事からご指名を受けることを楽しみにしています」と猛アピール。

 「純国産、純大阪産の音楽ですから。8月15日のお盆のスケジュールは空けて待っております。出番がないはずはないと信じております」。河内音頭を地元・大阪から世界へ。発信する準備は万全だ。

 ◆河内家菊水丸(かわちや・きくすいまる)本名・岸本起由。1963年2月14日生まれ、大阪府八尾市出身。72年に9歳で音頭取りの父・河内家菊水に入門。91年にアルバイト情報誌のCMソングで全国区に。現在も伝統河内音頭継承者として活動を続ける。

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