大河『家康』都での織田信長と徳川家康 嵐の前の過ごし方とは お市の波乱の生涯がスタート

濱田 浩一郎 濱田 浩一郎
イメージです(tk2001/stock.adobe.com)
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 NHK大河ドラマ「どうする家康」第13話「家康、都へゆく」では、徳川家康(松本潤)が上洛する様が描かれていました。1939年のアメリカ映画『スミス都へ行く』を彷彿とさせる題名です。

 永禄13年(1570)1月23日、家康はじめ諸国の大名・領主らは織田信長(岡田准一)から上洛(都へ上ること)を命じられます。宮中の修理や将軍の御用、そして、天下静謐のため、2月中旬に上洛するので、各々も、遅れることなく、上洛するようにとの命令が信長から下ったのでした。

 2月25日、信長は岐阜から都に向かいます。といって、数日のうちにすぐに、都に入った訳ではありません。途中、近江国(今の滋賀県)に立ち寄り、国中の相撲取りを集めさせ、常楽寺の境内で相撲を取らせたのです(3月3日)。力自慢の相撲取りらが、我も我もと集まってきたようです。

 鯰江又一郎と青地与右衛門は、試合に勝ち残ったので、信長の御前に呼ばれて、太刀・脇差を賜ります。そればかりか、その日より、織田家の家臣に召し抱えられ、相撲奉行まで仰せ付けられるという光栄によくしたのです。その他、優れた相撲を取った者(深尾又次郎)には、衣服が与えられました(信長の家臣・太田牛一が記した信長の一代記『信長公記』)。

 信長が都に着いたのは、3月5日のことでした。家康も同日には、都入りしていました。家康にとってはじめての都。家康は、都を見て、どのような感想を抱いたでしょうか。4月14日、将軍・足利義昭の六条の邸宅の修築がなったお祝いの能が演じられますが、家康もそれを観覧しています。随分長く、領国・三河を留守にしていますが、それだけ、情勢が安定していたということでしょう。

 さて、能を演じたのは、観世大夫と金春大夫。観能したのは、家康や伊勢の北畠具教、飛騨の姉小路嗣頼、三好義継、松永久秀、公卿たちでした。将軍・義昭は、この機会に、信長に官位を進められるよう希望したと言いますが、信長はそれを固辞。義昭のお酌で、盃を頂戴したのみでした。

 それから約1週間後(4月20日)、信長は越前国(今の福井県)の朝倉義景を攻めんとして出陣、家康もそれに同行することになります。都での日々は、嵐の前の静けさといったところでしょうか。

 13話の終盤では、北近江の大名・浅井長政が、北川景子演じる妻のお市(信長の妹)に「信長を裏切る、信長を討つ」と打ち明ける緊迫のシーンがありました。お市は、諸説ありますが、永禄10年(1567)頃に長政に嫁いだと思われます。

 長政との間には、茶々(後の淀殿)、初(常高院)、江という3人の女の子に恵まれました。しかし、長政が信長を裏切った事で、お市も3人の娘も波乱の生涯を歩むことになるのです。

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