『鎌倉殿』源頼家は暗愚な将軍だったのか?御家人の妾強奪、土地問題の悪処理、蹴鞠やり過ぎ 識者が解説

濱田 浩一郎 濱田 浩一郎
イラストはイメージです(freehand/stock.adobe.com)
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 NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で描かれてる通り、源頼家(金子大地)は、鎌倉幕府初代将軍・源頼朝の後継として、鎌倉殿の座につきます。しかし、鎌倉時代後期に編纂された歴史書『吾妻鏡』は、頼家を暗君として描いています。例えば、ドラマの第28回「名刀の主」でもあったように、頼家が御家人・安達景盛の妾(ドラマでは「妻」と表現)を奪ったとの記述もそうでしょう。頼家は、景盛が京都から呼び寄せた妾に目をつけ、自分のものにしようと狙っていたようなのです。

 が、妾は頼家の誘いに乗らず、誘いを蹴っていた。業を煮やした頼家は、景盛の留守中に、側近を使って妾を連行。邸に囲ってしまったというのです。これに、景盛は激怒しますが、それを聞いた頼家は、反省もせずに、景盛を討ち取ろうとする。あわや戦かと思いきや、騒動を聞きつけた頼家の母・北条政子が動き、「景盛をどうしても討つというなら、私に矢を向けてからにしなさい」と凄まれ、さすがの頼家も追討を断念。騒動は収まります。

 頼家の暗愚振りを象徴する話としては、土地に関する訴訟問題の件があります。これは第29回「ままならぬ玉」でも描かれていましたね。土地についての訴訟問題が、三善善信から頼家に上申されます。すると頼家は善信から進められた絵図を見て、墨をその絵図の中央に引き「所持する土地が広いか狭いかは、その身の運による。わさわざ訴訟対象の土地に使節(使者)を遣わす事は、無駄である。今後は、土地の境界についての訴訟は、このように決裁するべきだ。とやかく言う者があったら、訴訟として取り上げてはいけない」と言ったというのです(『吾妻鏡』)。これも『吾妻鏡』の有名な話ですが、実は後に使者は派遣されていました。

 北条氏が力を持った時代に編纂された歴史書『吾妻鏡』には更に、頼家を貶めるかのような記述があります。「御所で蹴鞠があった。およそその間、頼家は政務をなげうち、連日、蹴鞠に没頭した」との文章もそうです。

 確かに『吾妻鏡』には、鞠を何百回も蹴っている様が記されています。しかし、蹴鞠は、単なる遊戯ではなく、政治ツールにもなりうる重要な芸能でした。後鳥羽上皇も蹴鞠に秀でていたと言われています。蹴鞠のやり過ぎは問題ですが、蹴鞠をやる事自体は、決して責められる事ではありませんでした。

 『吾妻鏡』は、頼家を貶める記述が多いですが、それ以外の史料には、頼家は古今稀な弓の腕前を持つと記されています(例えば天台宗の僧侶・慈円が書いた『愚管抄』)。確かに、頼家に父・頼朝を凌ぐ有能さがあったかと言えばそうではないかもしれません。しかし、頼家は単なる暗愚で取り柄のない二代目・鎌倉殿ではなかったという事が同時代史料から言えるでしょう。

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