江戸前寿司に欠かせない食材は「源義経と弁慶」に深い関係 “偶然”が美味を生んだ

今野 良彦 今野 良彦
イラストはイメージです(freehand/stock.adobe.com)
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 今回は、悲劇のヒーロー・源義経にまつわる食材の話を紹介する。NHKの大河ドラマ『鎌倉殿の13人』が始まった。鎌倉殿とは、鎌倉幕府を開いた源頼朝のことだが、日本史をひもとくと人気が高いのはその弟である源義経である。

 幼名・牛若丸と呼ばれた義経は、頼朝が平氏打倒の兵を挙げるとそれにはせ参じ、平氏滅亡の最大の功労者となった。だが、その後、頼朝と対立。悲劇の最期を遂げたが、判官びいきという言葉を産むなど日本史上、もっとも人気のある人物のひとりといっていい。

 義経は多くの伝説や物語を生んだが、その中でも珍しい話がある。義経とその家来である弁慶が、江戸前寿司(ずし)には欠かせない食材=海苔と切っても切れない関係があるといわれているからだ。江戸前寿司は酢飯を軽くまとめ、その上に主に魚介の生身などを握る「握り」が中心であるが、カンピョウなどを巻いた海苔(のり)巻き(巻き物)も欠かせない。

 この海苔はかつて東京・大森でも養殖されていた。大森海苔は、昭和初期まで全国一の生産量を誇っていたという。その大森の海苔と義経、弁慶にまつわる伝説が残っているのは、大田区大森東にある「三輪嚴島神社」、またの名を「弁天神社」という。今回、その場所を訪ねたが、交通量の多い産業道路沿いにある比較的にこぢんまりとした神社だった。だが、御祭神は広島・宮島にある嚴島神社と同じ素戔嗚尊(すさのおのみこと)の御女市杵嶋姫命(みじょいちきしまひめのみこと)という由緒ある神社だった。

 神社の由来書を要約すると治承四(1180)年、義経、弁慶ら一行は舟で多摩川の渡しを渡ろうとしていた。だが、台風のため舟は大森付近まで流されてしまった。そのときに遠くにみえたこのお社に祈願したところ風も波も収まったという。そこで、社に近づいたところ、神の使いといわれる白蛇がいたため、近隣の住民に神殿を修理させ、舟をつないだところに注連竹(しめたけ)を突き立てさせた。その注連竹にある年、黒い苔(コケ)のようなものが付着。食べると美味だったため、その後は改良、加工されて、鎌倉将軍や江戸幕府のも献上されるようになったという。そして海に生える苔で「海苔」と呼ばれるようになった。

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