NHK大河ドラマ「べらぼう」第14回は「蔦重瀬川夫婦道中」。安永7年(1778)、高級遊女・瀬川を身請けしたことで有名な盲目の富豪・烏山検校は、幕府により検挙されます。同年10月の町触には、近来、盲人や浪人が「高利金」を貸出し「不法」な催促をしていることを「不届」とする文言が見えます。
奉行所において、そうした「族」(やから)の吟味を申し付けるとしているのです。盲人による高利貸や強引な取り立てへの対策は、安永年間に初めて講じられたものではなく、例えば明和年間(1764〜1772年)にも奉行所が「吟味」し、場合によっては咎めていたことが分かります。
ところがそれでも、盲人らによる高利貸や「法外」の催促(取り立て)は止むことはなかったのです。幕府は隠忍していたと言えるでしょうが、そうした時(1778年)に起こったのが、旗本・森忠右衛門とその家族の出奔事件でした。森は「筋悪き金子を借用」し、これを返済することができずついに逃げ出したのです。この事件により悪質な金貸業者が摘発されることになりました。
安永7年12月、町奉行の牧野大隅守は惣録(江戸で関八州の当道を統轄した官職)を召喚します。その上で不法な貸付をした検校(烏山・梅浦・松岡・相馬・神山・川西)や勾当(栗田)ほかを引渡すので、座法に従い処分すべしと申し渡したのです。盲官には大別すると検校、別当、勾当、座頭の4官がありました。また幕府は、当道座の検校(惣禄検校)に自治の権限や一定の裁判権を認めていたのです。
このようなこともあり、烏山検校らは座法により処断されることになります。烏山検校は全財産を没収され、江戸追放になってしまうのです。この時、盲人のみならず、不届な貸付をした浪人や町人も処罰されました。梅浦・神山・川西検校や栗田勾当は10代将軍・徳川家治の葬儀(1786年)の際に赦免されますが、烏山検校はそれまでにいち早く亡くなったようです。