今回は元祖人気メイドカフェ嬢、江戸三美人の笠森お仙が、なんと隠密頭領の嫁、スパイの妻になっていたという話である。しかも、その墓は現在、有形文化財になっているというから驚きである。
江戸(明和)三美人を知っているだろうか。道ばたや社寺の境内で湯茶などを提供する現代でいうカフェ、「水茶屋」の看板娘である「鍵屋」の笠森お仙、「蔦屋」の蔦屋およし、そして楊枝屋「柳屋」のお藤がそうだとされている。
中でも、江戸の谷中・笠森稲荷門前にあった「鍵屋」の鍵屋五兵衛の娘・お仙の人気はすさまじかったらしい。当時の人気浮世絵師・鈴木春信が描いた美人画が大評判となり、店内ではその美人画だけでなく、手ぬぐい、すごろくなどのグッズも販売されたほど。まさに“会いにいけるアイドル”のはしりだろう。
その人気は後世にも語り継がれ、『あめりか物語』などで知られ、文化勲章にも輝いた永井荷風も『恋衣花笠森』という作品を残している。しかも荷風は、東京・谷中の「大円寺」に「笠森阿仙乃碑」を建立し、その美貌を絶賛する文も残している。今回、その碑の現物を見に行ってみるとカメラ撮影する人もいる。なかなかの人気のスポットだ。
そのお仙がある日、突然に店から姿を消した。アイドルの失踪に、彼女を目当てに日参していた江戸っ子たちが騒然となったらしい。理由は「鍵屋」のある笠森稲荷の地主で旗本でもある倉地家に嫁いだためだった。だが、相手の倉地満済、通称・政之助の経歴が面白い。その役職が御庭番だったからだ。
御庭番は第8代将軍・徳川吉宗が設けた役職で、将軍から直接の命令を受けて秘密裏に諜報(ちょうほう)活動を行った隠密、つまりスパイのことである。25歳で家督を継いだ満済は明和三(1766)年に「御休息御庭番之者支配」、つまり隠密の頭領のひとりにまでなった。
結婚に際しては、それなりに面倒くさい手続きがあったらしい。当時の身分制度では、水茶屋の娘が武士に嫁ぐのは難しい。そのため、お仙はいったん満済と同じ御庭番・馬場家の養女となり嫁いだ。夫の満済はその後、幕府金庫の出納経理を役目とする金(かね)奉行にまで出世したのだから、お仙はまさに玉の輿(こし)に乗った。