帰国の際に増田がそれまで蓄財していた物を持ち帰ったという話があるんです。増田はその後、芝西久保(現虎ノ門3丁目)や芝増上寺境内の南隅などに住み、政治家やロシア語を学ぶ学生などに私塾のような形で、生きたロシア情報を伝え、1885(明治18)年、65歳で波瀾(はらん)万丈の生涯を閉じました。
増田は死期を悟った直前、墓と定めた「源昌寺」の境内のどかに、ロシアから持ち帰った物を埋めたといわれています。それが「ヤマトーノフの埋蔵金」です。
みだりに発掘はできないため、真偽のほどは分かりません。でも、超高級住宅地・高輪に眠る「埋蔵金」-。ちょっとしたロマンですね。