この「広南従四位白象」は、そのふんを丸めた丸薬が売り出されたり、赤坂・日枝神社の山王祭の山車になるなど江戸に一大ブームを巻き起こしました。ですが、寛保二(1742)年、22歳で病死しました。その後、皮は幕府に献上され、牙は源助に与えられたという話です。その牙は平安時代に源義家によって開基された真言宗の寺院「宝仙寺」に収められましたが、第二次世界大戦の戦火で一部を残して消失しました。
江戸の街を、偉い偉い象が闊歩(かっぽ)していた…。考えただけでも楽しい話ではありませんか。
この「広南従四位白象」は、そのふんを丸めた丸薬が売り出されたり、赤坂・日枝神社の山王祭の山車になるなど江戸に一大ブームを巻き起こしました。ですが、寛保二(1742)年、22歳で病死しました。その後、皮は幕府に献上され、牙は源助に与えられたという話です。その牙は平安時代に源義家によって開基された真言宗の寺院「宝仙寺」に収められましたが、第二次世界大戦の戦火で一部を残して消失しました。
江戸の街を、偉い偉い象が闊歩(かっぽ)していた…。考えただけでも楽しい話ではありませんか。