慰安婦問題など政治的な部分で日本と韓国の間には深い溝があるが、K-POPやネット配信ドラマといった韓国発エンタメは日本に浸透している。一方、韓国では禁じられていた日本の大衆文化をどん欲に求めた時代があった。1970年代を代表する格闘マンガ3作に焦点を当て、IT企業社員で「韓国いんちきマンガ読本」(パブリブ発行)という著書がある大江・留・丈二(おーうぇるじょーじ)さんに解説いただいた。
大江さんは「韓国では97年の文化開放政策前まで『倭色禁止』で、日本の大衆文化が禁じられていた。日本の音楽や映画、小説等の文化から、ふすまや畳、着物に至るまでが基本的に禁止されていた裏で、日本のマンガやアニメが持ち込まれ、登場人物や舞台を韓国に置き換えた海賊版が大流行しました。万国著作権条約加盟(87年)まで韓国の著作権法は『自国の著作物は保護するが、海外の著作物は保護しない』というスタンスでした」と背景を説明する。
そこから、梶原一騎原作の格闘マンガが70年代の韓国でどのようにアレンジされたかを検証した。
【あしたのジョー】
ボクシング漫画の金字塔も、韓国版タイトルは「チャンピオン・ハリケーン」。主人公の出身は東京・山谷ではなく、ソウルのタルトンネ(貧しい街の呼称)で、名前は「ジョー(矢吹丈)」ではなく「ジョ選手」。力石徹は「ヤ・センマ」、白木葉子は「エリン」、丹下段平は「マンモス師範」、マンモス西は「シロクマ(韓国語読みでペッコム)」という名前で、いずれも韓国人という設定だ。街の描写は原作をなぞりつつ、看板などはハングル化された。
逆に、原作の韓国人ボクサーはどう描かれたのか。矢吹と激突する東洋太平洋バンタム級王者・金竜飛は、韓国版ではタイ人ボクサー「キングコブラ」として登場。金は幼少の頃、朝鮮戦争で母親を亡くし、空腹の中、韓国軍の兵士を岩で殴り殺して食料を奪ったものの、その相手が実の父親であることを知って食べた物を吐くという回想シーンの衝撃が強いが、大江さんは「韓国版では朝鮮戦争が第二次世界大戦に置き換えられたり、タイ人以外でもベトナム人という設定にして、ベトナム戦争で韓国人にひどい目に遭って韓国人をうらんでいるというバージョンもあります。また、別の雑誌では在日韓国人という設定もありました」と複数の解釈を紹介した。
【タイガーマスク】
プロレス漫画の傑作。原作の最終話で、主人公の伊達直人は子どもを助けようとして車にはねられ、絶命する直前に虎のマスクを川に投げ捨てて正体を隠したが、韓国版では徴兵のため引退するという設定だ。「兵役は韓国国民の神聖な義務」と言い残してマスクを着けたまま去っていく。
ちなみに、原作に登場する実在の韓国人レスラー・大木金太郎(キム・イル)は日本人レスラーの引き立て役的な描写だったからか、削除されている。大江さんは「日本人レスラーのミスターカミカゼが『ミスターカミナリ』として登場し、そのマスクに描かれる日の丸のデザインも太極旗に修正されています」と補足した。
【空手バカ一代】
日本で大ヒットした空手マンガの韓国版は「テコンドー・バカ一代」といえる内容で、タイトルは「テヤマン(大野望)」。主人公の崔倍達(チェ・ペダル=大山倍達)は日本統治下の京城(ソウル)で「悪の日本人空手家」をテコンドーで倒し、世界中に道場を設立する。大江さんは、韓国に根差した「恨(ハン)」という概念と梶原作品との親和性を指摘する。負の感情を糧に理想の姿を追い求める精神が通底しているという。
その後も海賊版は出回った。例えば、「スラムダンク」の桜木花道は「カン・ベクホ」という名前で、そこから派生した海賊版「スラムシューター・ヨンソヤ」(93年)では桜木の体に「鉄拳チンミ」の顔が合成されるという異形のキャラも誕生している。97年以降、原則的に日本マンガは公式版になり、海賊版は姿を消した。大江さんは、韓国の海賊版マンガを「いんちき」と表現する。
「『いんちき』というという言葉には、詐欺とかそういう文脈で使われるような悪意はない。『パクリ』とも違う。韓国の『ケンチャナヨ精神』です。日本だと『他人様に迷惑をかけてはいけません』と子どもの頃から言われて育つじゃないですか。韓国や中国、タイだと『生きるうえで、他人に迷惑をかけるのは当たり前。迷惑をかけられても寛大になりなさい』と教えられる。それがケンチャナヨ精神であり、中国の『没問題(メイウェンティ)精神』やタイの『マンペーライ精神』にも当てはまりますが、その辺からも国民性や文化の違いが出てくるように思います」
「ケンチャナヨ」を日本語に直訳すれば「大丈夫」となるが、それだけでなく、苦境を肯定的に打開する魔法の言葉でもある。善悪の彼岸にある「いい湯加減のテキトーさ」が、今はなき韓国の海賊版マンガにあったのかもしれない。