「人面犬」を覚えていますか?体は犬だが、顔は人間で言葉をしゃべり、時速100キロ以上で走る…といった1989年から90年頃にメディアを席けんした都市伝説だ。
インターネットが普及する前の時代、雑誌の投稿欄やラジオなどを通して「目撃談」が飛び交った。その噂に熱中した小中学生も今では40代。ブーム自体は消費されても、SNSの世界では形を変えて「人面犬的なるもの」は生きている…。「仕掛け人」となったライターの石丸元章氏(55)は当サイトの取材に対し、そう指摘した。
石丸氏は当時、雑誌「ポップティーン」のライターとして人面犬ネタを展開。出演していたラジオ番組でも拡散し、雑誌、新聞、テレビのニュース番組でも報じられた。同氏はその顛末記をサブカルチャー誌「クイック・ジャパン」の創刊準備号(93年8月発行)で執筆している。
「ジャーナリズムとメディアの実験」だった人面犬は物語(うそ)である一方、「実際に見た」という子どもが続出した現実(ほんと)が「予想外」に存在し、発信者の意図とは全く別のところに突っ走って行ったという。その総括からも28年が経過。記者は書棚に眠っていた同誌を掘り出し、改めて本人に会って話を聞いた。
石丸氏は「最初、読者から人面犬の投稿があって、これは面白いと思ったんです。そこから『130キロくらいの速さで高速道路を走っているのを見た』とか『勝手だろ…と捨て台詞を残した』などと肉付けしていくと、実際に見たという人が現れた。そうなると、もう勝手に歩き出す感がありました。その子たちは本当に虚構を通り越して『見ていた』のです」と証言する。
では、都市伝説を巡る当時の時代背景はどうだったのだろうか。
「口コミが注目された時期で、日本だけでなく、アメリカでも『消えるヒッチハイカー』という、ヒッチハイクで乗せた人が車から消えていたという幽霊譚(たん)みたいな都市伝説が出て来た頃。それまで正規の情報はテレビや新聞に出ても、噂レベルの情報を載せるメディアがなく、それ以前の『口裂け女』なども積極的には取り上げられなかった。80年代の雑誌カルチャーで人面犬が取り上げられたことをスタート地点として、私も含めて当時の若いライターが興味の対象として扱うようになった」
今はSNSが舞台となる。石丸氏は世界屈指の実業家であるイーロン・マスク氏の死亡説(※本人がツイッターで否定して収束)に注目した。
「当時と今の状況の違いは、『イーロン・マスクが死んだ』とSNSで拡散されると、(CEOを務める企業)テスタの株価がぐっと下がるなど、噂レベルの話が巨額のマネーに瞬時に影響するようになったこと。最近だと、ドローンで知られる中国の会社が粉飾決済をやっているという噂の類が流れて株価が下がった。そういう株式取引をめぐるインサイダー的な噂話が今はサブカルチャーみたいな感じで面白おかしく扱われている。人面犬騒動の延長線上に、こうした現象が実現している」
その上で、石丸氏は「噂話は子どものものだったが、誰もがSNSをやる今は年齢に関係なくなった。表面上、信じられているものが実は違うという気持ちは誰の心の中にもあって、それに対するガス抜きが噂の形になる部分があるのかもしれないですね」と分析した。
「人面犬的な現象」は形を変えて生きている。ちなみに、その一般的なビジュアルは「当時発売されたビデオに登場するクリーチャー(生物)」に由来するという。石丸氏は「妖怪ウォッチで人面犬が出てきた時はうれしかった。噂って著作権はないんですよ」と笑った。