大河『べらぼう』大手版元・鱗形屋孫兵衛の栄光と挫折 事件で信用落とすも「黄表紙」刊行したが… 識者語る

濱田 浩一郎 濱田 浩一郎
画像はイメージです(Stefan Scheid/Wirestock Creators/stock.adobe.com)
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 NHK大河ドラマ「べらぼう」第6回は「鱗剥がれた『節用集』」。今回は鱗形屋孫兵衛(片岡愛之助)の凋落が描かれました。鱗形屋は様々な書物を刊行してきた江戸の大手版元です。鱗形屋は、蔦屋重三郎が出版業界に進出して間もない安永4年(1775)にもヒット作を飛ばしています。それが恋川春町の著作(黄表紙)『金々先生栄花夢』(以下『金々先生』と略記)です。恋川春町は戯作者・浮世絵師であり、黄表紙の祖とも称されています。黄表紙とは洒落と風刺を織り交ぜた大人向けの絵入り小説のことであり、表紙が黄色だったことからそう呼ばれました。

 『金々』と言えば、ドラマ冒頭付近で、重三郎が生きた時代の流行語「金金」が登場しました。「金金」とは身なりを着飾って得意然としている事を指しますが、そうした金金野郎が遊女らに馬鹿にされる場面がユニークに描かれていました。

 さて『金々先生』の作者・恋川春町は戯作者とは言え、専業作家ではなく、武士です。駿河国小島藩に仕える藩士だったのです。恋川春町はペンネームであり、本名は倉橋格といいました。「安永・天明の文学界は、一挙に黄表紙時代を迎えることとなった」と言われますが『金々先生』はその先駆的存在だったのです。

 『金々先生』のヒットによって鱗形屋の繁栄は今後も続くかと思われました。ところが『金々先生』がヒットした年、鱗形屋に暗い影が差します。鱗形屋の手代が、大坂の版元が出した字引『早引節用集』を『新増節用集』と改題して、鱗形屋から勝手に売り出してしまうのです。この罪により鱗形屋の手代は家財没収、十里四方追放という処罰を受けます。

 しかし余波は鱗形屋孫兵衛にも及び、彼もまた監督不十分の罪で罰金(二十貫文)を科されてしまいます。この事件には一手代だけでなく、鱗形屋全体(つまり孫兵衛)も関与しているとされます。「版木七十一枚」で「三千四百冊」の大規模な海賊版を作っていたとされたからです。これほどのものを手代の裁量で作ることはできないということです。

 この事件により信用を落とした鱗形屋ですが、その後も多くの黄表紙を刊行しています。が、安永8年(1779)頃から鱗形屋の黄表紙の刊行は激減していくのです。経営悪化がその理由とされています。

 ◇主要参考・引用文献一覧 ・松木寛『蔦屋重三郎』(講談社、2002)・鈴木俊幸『蔦屋重三郎』(平凡社、2024)・櫻庭由紀子『蔦屋重三郎と粋な男たち!』(内外出版社、2024)

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