ゆうやけこやけで日が暮れたら、子供たちはなぜ一斉に帰宅しなければいけなかったのか? 識者が語る

濱田 浩一郎 濱田 浩一郎
画像はイメージです(miiko/stock.adobe.com)
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 「ゆうやけこやけで 日が暮れて 山のお寺の鐘が鳴る」という「夕焼小焼」の歌(童謡)を聞いたことがある読者は多いと思います。この童謡は、大正8年(1919)に発表された詩人・中村雨紅の詞に、作曲家・草川信が作曲したものです。有名なこの童謡には日が暮れたら「お手々つないで 皆帰ろ」という歌詞があることもご存知の方も多いでしょう。

 では、なぜ日が暮れたら、子供たちは一緒になって家に帰る必要があったのでしょうか。その答えを得るには、黄昏やその後に訪れる夜を、昔の日本人がどのように認識していたかを探る必要があります。

 まず、夜は昔(例えば中世や近世)の人々にとって、鬼や妖怪が跋扈(百鬼夜行)する時間帯でした(これは、現代にも当てはまるでしょうが)。例えば、鎌倉時代前期に成立した『宇治拾遺物語』には修行者が百鬼夜行に遭遇する場面が描かれています。また貴族であり歌人としても有名な藤原定家の日記『明月記』には猫のような化け物が現れて、一晩に7・8人が襲われたとの記述があります(1233年)。このように昔の人にとって、夜という時間帯は、人間ではなく、異界に住む妖怪たちが出現し、蔓延る時だったのです。

 また黄昏時(夕暮れの薄暗がりの時)は「遭魔が時」とも呼ばれ、悪霊や妖怪に遭遇する時と考えられていました。例えば、歴史学者・笹本正治氏は「黄昏時は、人間とあの世の住人である妖怪の交錯する可能性のあった時間帯なのである」(同氏「夜の世界」『中世の音・近世の音』講談社、2008年)と述べられています。

 こうした事を考えた時、夕暮れになると、なぜ子供たちは一斉に自宅に帰らなければならなかったのかが見えてきます。そう、夕暮れや夜は、この世の者ではない妖怪などが現れると信じられていたので、危険だったからです。現代においては、夜になっても明かりが煌々とついている場所が多いですが、昔はそうではありませんでした。よって闇の世界は人々の恐怖心を増幅させたでしょうし、そこに妖怪などが現れるという説が入り込む余地があったのでしょう。

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