鎌倉時代にあった「エクソシスト現象」無念で死んだ僧侶の霊が13歳の少女に取りついた 歴史学者が説明

濱田 浩一郎 濱田 浩一郎
画像はイメージです(grandfailure/stock.adobe.com)
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 現代人と比べて、中世(鎌倉時代~戦国時代)を生きた人々は、怨霊や怪奇現象というものに、とても敏感でした。現在、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が放送されていますが、鎌倉時代の政治史を語る上で重要な史料が『吾妻鏡』(鎌倉時代後期編纂の歴史書)です。しかし、同書には政治の話だけではなく、怖い怨霊や怪奇現象の話も掲載されているのです。今回はその中から1つの怪奇譚を紹介します。

 それは、建長4年(1252)1月12日のこと(鎌倉幕府第5代執権・北条時頼の頃の話です)。その夜、長賢という僧侶の霊が鎌倉に現れます。長賢は、後鳥羽上皇とも深い関係を持った僧でしたが、承久の乱(1221年)に際し、討幕計画に加担したとして陸奥国に流され、安貞2年(1228)に無念のうちに亡くなっていました。その長賢の霊が突如、鎌倉に現れ、13歳の少女(二階堂行綱の家来の娘)に取り憑いたのでした。

 憑依された少女は「狂気」となったと言います。アメリカ映画「エクソシスト」(1973年)で悪魔に憑依された少女のような感じでしょうか。狂ったようになった少女は、承久の乱の時のことを語り出し「僧・長能に会いたい」と希望します。少女の母親は引き留めることができず、長能のいる大倉の御坊(僧のいる建物)に向かいます。途中、少女は輿から降りて、長能の家の中に走り入ったといいます。長賢は少女の口を借りて、昔のことを様々語ったのでした。

 聴き終えた長能は『これは長賢に違いない』と確信。少女の母の願いもあり、祈祷をすることになります。すると、少女はまたしてもおかしなことを口走ります。「私は、隠岐の後鳥羽法皇のお使いとして、かねてより関東に下って来ていた。日頃は、北条時頼の屋敷に住んでいた。だが、鶴岡八幡宮の隆弁法印がその屋敷に来てお経を読んだりしたので、追い出されてしまった。こうなっては、都へ帰るしかあるまい。後鳥羽院の御所へ報告をしよう。その上で来年もう一度来よう」と。

 話が終わると、少女は気絶してしまったようです。少し経って意識は回復しましたが、放心状態にあったとのこと。この話は早くも翌日には、執権・北条時頼にも伝わります。昨夜の出来事は『吾妻鏡』によると「天狗の霊託」と記されています。時頼は少女の母を召し出して、昨夜の出来事を色々尋ねたそうです。聴き終わった時頼は、法験(仏法の修行によってあらわれる効験)を改めて信じたということが『吾妻鏡』には記されているのです。

 エクソシストばりの悪魔との死闘はありませんが、それがかえって、信憑性や不気味さを増しているようにも思います。この逸話、全くの嘘話としてしまうのも、味気ない。信じるも信じないも、あなた次第です。

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