千葉県で大量に繁殖した特定外来生物「キョン」が茨城県でも確認され、農作物被害などの対策として、県が目撃情報の提供者に報奨金を出す制度の新設を決めた。今月23日には東京・江東区でシカのような動物の目撃情報があり、SNSでは「キョンではないか?」という投稿もみられた。
キョンとは中国などに生息するシカ科の小動物。その名が日本で広がったきっかけは、1970年代に大ヒットした漫画「がきデカ」(山上たつひこ)だ。同作の主人公・こまわり君が放つ一発ギャグ「八丈島のきょん」は流行語となった。「八丈島の固有種?」という誤解も生んだが、事実は異なる。当時のブームを振り返りながら、昨今の報道で改めて注目されたキョンにゆかりの八丈島の〝伝説〟を追った。
「がきデカ」は週刊少年チャンピオン(秋田書店)で1974年から80年まで連載。社会現象になった「死刑!!」から、「あふりか象が好きっ!!」を経て登場した第3弾ギャグが「八丈島のきょんっ!!」(原作表記)だった。
「ざっぱーん」という擬音と共に溶岩の海岸に打ち付ける波と断崖など、(基本的に)八丈島を象徴する風景をバックに、キョンに化身した「こまわり君」が右前足と左後ろ足を掲げながら「八丈島のきょんっ!!」と叫ぶ。意味などない。唐突にぶち込まれ、それまでのストーリーを破壊して異空間に突き落とす力があった、
連載誌面でのキョンの登場期について、手元にある「がきデカ」の単行本を確認すると、13巻(初版発行78年3月)から19巻(同79年9月)にかけて頻出。単行本収録までのタイムラグを考慮しても、ほぼその時期となる。リアルタイム世代の小中高生は現在50~60代。当時を知る八丈島の地元民は、どのようにこのブームを受け止めたのだろうか。
八丈島で生まれ育った上ノ山正夫さん(61)は「『がきデカ』はうちらの間でも人気でした、『死刑のポーズ』とかもよくやりましたよ。今の時代では考えられなかったかもですが(笑)。キョンがネタになったことに関してマイナス意見は聞いた事がありませんでした。やはり、八丈島が有名になった意味合いの方が断然強かったと思います。実際には分かりませんが、『がきデカ』で有名になった八丈島に観光客が増えたのかな…とは、漠然にですが感じました」と証言した。
その上ノ山さんは5月18日に八丈島で凱旋ライブを行った歌手・畑中葉子の地元スタッフとして奔走。日頃は、道路の舗装、住宅回りにある木の伐採などに従事する〝何でも屋さん〟として、地元では「まさおちゃん」の愛称で親しまれている横浜銀蠅ファンだ。同氏にリクエストし、ライブ取材ツアーで当初は予定のなかった「八丈植物公園」まで車で同行していただいた。島内に野生のキョンはいないが、同園で飼育されているのだ。
「キョン舎」には5頭いた。体長70センチ前後と小柄で、走ると速い。地元の人に連れられた犬がキョンに向かって激しく吠え続けていたが、全く動じることなく、黙々と草を食べている。おとなしくてマイペース。飼育されている限りは愛玩動物だ。それが野生化すると、生きていくために農作物を食べ、死活問題となる人にとって〝害獣〟となる。
八丈島の場合、現在の千葉や茨城におけるキョン的な存在は「野ヤギ」だった。正確に言うと、八丈島ではなく、6-7キロ離れた八丈小島でのこと。「八丈小島の野ヤギ」が「八丈島のキョン」と混同されたという説もあるが、両者は全くの別物だ。
八丈町の山下奉也町長はよろず~ニュースの取材に対し、「キョンではなく、野ヤギで苦労したんです。八丈小島から住民が(本島に)引き揚げる時に、飼っていたヤギを置いていった。それが野生化して繁殖した」と説明。時期について、同町の山越整副町長は「昭和44-45(1969-70)年です。全員離島の50周年(式典)も数年前に行われました」と補足した。
山下町長は「小島から最短で6キロくらいですが、ヤギが泳いで八丈島に来ることはなかった。(流れの速い黒潮などで)泳いで渡った人はほとんどいないですし、ヤギもそう。それで(無人島になった)八丈小島の中で増えたんです」と説明。生態系への被害対策として、2008年度に「八丈町ノヤギ対策協議会」が設置され、捕獲を進めた結果、「目撃情報や生息の痕跡が確認されなくなった」として、20年3月に「ノヤギ終息宣言」が出された。
上ノ山さんらと共に、島内の高台に登って八丈小島を眺めた。姿を消した野ヤギの幻影が、植物公園の温和なキョンではなく、荒ぶる「がきデカ」のキョンと重なった。