「あられ~♪うえがき♪うぐいすボール♪」のCMソングなどで、関西ではおなじみのお菓子「鴬ボール」。1907年(明治40年)に神戸で創業した植垣米菓株式会社から、1930年(昭和5年)に誕生した90年以上続く商品で、関西を中心に中四国などでも販売されている。
原材料はもち米、小麦粉、砂糖、食塩、食用油のみを使用。白い部分はもち米、茶色の部分は小麦粉。独特の丸みのある形状は油で揚げる過程で自然に作られる。手作りから機械化となっても、製造工程はほとんど変わっていない。
ロングセラーの理由について、4代目の植垣清貴社長(64)は「やっぱり、シンプルだからじゃないですかね。味付けといっても砂糖と塩だけですから」と分析する。現在は宇治抹茶、きな粉、コーヒー、キャラメルなど、さまざまな種類の味もあるが、1番人気は〝本家〟だという。素朴で甘塩っぱい、飽きのこない味。配合の分量はもちろん明かさないが、人気が衰えない秘密が隠されているのだろう。
誕生のきっかけは植垣社長によると同社にアイデアを持ち込んで来た人がいたという。「伝聞ですけど『こうやって作ったら、こんなん商品ができるんちゃうか』と言った人がいたそうです」。実際に作ってみると、鴬ボールの原形ができあがった。
発売当時は製造過程の油で揚げるときに中身がはじける状態から「爆弾ボール」、上海事変で戦死した「肉弾三勇士」が話題となったことから「肉弾ボール」とも呼ばれた。「類似品もあったようなので、人気はあったと思います」と植垣社長。当時のパッケージは同社に現存していないが、1936年(昭和11年)に販売促進用に使われた、兵隊のイラストと「肉弾ボール」の文字が描かれた鉛筆は残っている。軍国主義へ突き進む世相を反映した商品名だった。
1945年に太平洋戦争が終わり、戦後になると「こんな物騒な名前はアカン」、「なんかええ名前はないか」と社内で議論して鴬ボールになった。植垣社長は「社員の中で『梅のつぼみに似ているから、〝梅に鴬で〟鴬でどうか』と。たぶん、花札の好きな社員がいたんじゃないかな」と笑顔で語る。
花札の絵柄にある「梅に鴬」は春の訪れを象徴し縁起が良く、「絵になる取り合わせ」、「似合いの組み合わせ」という意味もある。平和という〝春〟を迎えて名前を変えた「鴬ボール」は、これからも愛され続けることだろう。